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テンポラリー通信

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2013年 05月 29日

夏の年ー明暗・皐月(22)

冬が長くて今年は一気に夏が来た。
古くこの地に住んだ人は、一年を夏と冬に二分する考え方
をしていたという。
そして夏は海辺に住み、冬は山裾に住んだという。
夏家の在る所を、sak-kotan
冬家の在る所をmataーkotanと呼んだ。
積丹という地名は、このsak-kotanから名づけ
られたようだ。
積丹は<せきたん>ではなく<しゃこたん>で、サク・
コタンである。
春や秋が夏の年に属して、四季が四等分ではないこの地
の特色を今年ほど感じる年はない。
待ちかねたように小学校の運動会があちこちで開かれ、
本州とは春秋が逆になっている。
暖かさ、夏の年に敏感に反応して春が全てのスタートの
ように在る。
秋は短く冬の年の入り口にある。
閉じて耐える年が始まるからだ。
街はそうした固有の季節感に関わらず、全国的標準時を
設定し秋は芸術の秋として冬の年を迎える時にアートイ
ヴェントなどを催している。
インフラの整った都市環境では時にそうした全国標準時の
錯覚が可能となる。
でもそれは利便性の糖衣に包まれたある錯覚に過ぎないのだ。

八木保次・伸子さんの作品を見ながらしみじみと思う。
これは札幌の北の光と色の彩の絵画なのだと。
冬と夏の色彩がふたりの作品に満ち溢れている。
伸子さんの白は正に冬、保次さんの青と黒は冬の底。
そして伸子さんの黄色は福寿草の夏の年の先駆けのように
生命のjoyに満ち、保次さんの緑はフキノトプの蕾のよ
うに生命を孕んでいる。
昨年3月相次いで亡くなられた時は、夫婦ふたりの死に
騒然とした世間も今年は誰も声を上げようともしない。
人の死は大きな事件ではあるが、作品は残り作品は生き続け
て今日も新鮮である。
このふたりの生涯を通して追求し続けたこの地の光彩を、
絵画として正当にまっすぐに何故もっと見ようとはしない
のか。
国際展を声高に語る人たちはインターローカルな視座を喪失
して、なにを根拠にグローバル化を目指しているのか。
文化は利便性の物ではない。
その地の固有性から生まれるネイテイブを基底とするもので
あるはずだ。

*八木保次・伸子追悼展ー6月2日(日)まで。
 am11時ーpm7時:月曜定休。

 テンポラリースペース札幌市北区北16条西5丁目1-8斜め通り西向き
 tel/fax011-737-5503

by kakiten | 2013-05-29 13:52 | Comments(0)


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