八木さんたちの遺作が人を招くのか、療養中と聞いている
登山家で名随筆家の早川禎冶さんが来る。
2008年冬に南半球を半年かけて舟で回りその後体調を
崩していたと聞いていた。
その時の紀行文は「南半球舟行」として翌年2月に出版さ
れ、変わらぬ優れた文明批評の視点に感銘をうけていた。
いまこうして氷河の断面の青をながめている。
すでに、この白は海を前にして青に変貌していることに
気づく。・・・
ただし、ここでは白は赤をへずして、いきなり青色となる。
それはすでにこの地が人間が介在すべきでない空間である
ことを意味しないか。・・・
空間はきらめく氷河と岩が海を補完して見事な造形となって
いるものの、この海だけを見るとどうしようもない暗さでおお
われている。このとき、天地晦冥の晦は本源をいえば海(かい)
ではないかとおもった。それはまちがいなく、愚かな人間のふれ
るべきでない世界であることを暗示しているように感じたもので
ある。
(同上・南極海ー岩と氷河と海とー2008年3月14日から)
古代中国の青と赤そして白という本源的な色彩の考察が、この南極
の紀行文を通して伝わってくる。
白が赤をへずしていきなり青となる非生命への観察は、八木さんたち
ふたりの光彩探求の絵画の根幹にも触れる視座がある。
四季の彩(いろ)を、青・朱・白・玄の4色で顕した古代の色彩の
推移は同時に生命の色彩の推移でもある。
朱つまり赤の経過しない白と青とは正に非生命的世界なのだ。
そしてそうした白と青の世界には、玄(クロ)というどうしようも
ない暗さ<晦冥>が広がっている。
桜吹雪のような赤色の光彩を、剥落した絵の具にも少しも違和感を
感じずにまるで生命の花の乱舞のように感じる八木作品を前にして
早川さんの不意の訪問は、私に早川さんのこの文章を思い出させて
いたのだ。
先年亡くなられた名随筆家山川力さんとともに、早川禎治さんの
歩きつつ書かれる名随筆は優れた文化・文明論でもある。
この訪問は、やはり故八木さんたちの作品の功徳である。
自宅から一キロ以上は出歩かない毎日だったが、今日は特別に遠出し
て来たのだと、とても健康に不安があるとは思えないような大きな声
で早川さんは話す。
ちょうど来た夕張の上木和正さんもその元気さに吃驚している。
早川さん、
これが最後の訪問などと言わないで、これからもどうぞ元気でいて下さい。
お願い致します。
*八木保次・伸子追悼展ー6月2日(日)まで。am11時ーpm7時
:月曜定休。
テンポラリースペース札幌市北区北16条西5丁目1-8斜め通り西向き
tel/fax011-737-5503