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テンポラリー通信

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2013年 05月 10日

色づく風景ー明暗・皐月(6)

長いトンネルを潜り抜けるように、暗い春が消えた。
今朝は本当に春、そんな感じがする日。
向かい風に天の光と地の香りを浴びながら、自転車で疾走する。
風景に多彩な色彩が戻ってきて、キタコブシの白い花もほっと
一息吐いている。
北大第二農場の入り口に「春の山菜展」の看板がある。
桜と山菜の季節が一気にやって来た。
自然という本当に根本的なインフラに勝るものはない。
その上での人間の社会的インフラなのだ。

今日もこの見えない舗道の下を雪解け水で増水した水の流れは
ごうごうと音を立てて流れているに違いない。
風が吹き、水が流れ、光が降り注ぐ。
その季節と自然を感じる回路を入り口として保ち、その入り口を
同時代として純粋形象化する事を失念してはならぬ。

昔産まれた家の中庭に一本の樹があった。
時にその樹を想い出す。
犬や猫も飼っていてことがある。
愛犬・愛猫という言葉があるなら、あの一本の樹も愛樹と今は思う。
人間が植えたものだが、人間とともに生きていた。
秋には美しい紅葉・落葉を見せてくれ、春には新緑の青があった。
冬には裸木となって、雪の白と黒々とした幹・梢が美しかった。
何も語りはしなかったけれど、その姿は季節の日々に生きて雄弁で
あった。
あれは人間社会と自然世界を繋ぐ回路のように生きていた。
たった一本の庭木だったけれど、あれは人間の愛した生きた自然へ
の入り口、ひとつの文化の形象だったと今は思えるのだ。
きっと郊外の山や森に近い場所では、もっともっとこの<愛樹>
が多いに違いない。
裏山とか雑木林とか里山とかいうゾーンには、これら<愛樹>群
が満ちている。
そしてそれらは自然世界と人間社会を繋ぐ本質的なインフラとして
存在し、役割を担ってもいたのだろう。
火を擦る木がヒノキとなり、チキサニ(春楡)と呼ばれたように
<愛樹>は同時に実用的な存在でもあっただろう。
里山も防風林も<実>であり同時に<美>を保った愛樹群でもあっ
たはずだ。
そうした入り口の形象を私達は何時から捨て去って、人工的で有用な
もののみをインフラ装置として基底に据えるようになってきたのか。
アートや機械装置がその美的実用的代替えなどと錯覚してはならぬ。

 テンポラリースペース札幌市北区北16条西5丁目1-8斜め通り西向き
 tel/fax011-737-5503

by kakiten | 2013-05-10 13:30 | Comments(0)


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