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テンポラリー通信

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2013年 04月 10日

故地行ー風の翳・卯月(6)

山田航の札幌探訪記の第一回が昨日から始った。
道新の連載である。
「札幌モノローグ紀行」と題された一回目は、札幌駅前通り。
13日まで毎日連載し、その後16日から隔週掲載という。
札幌生れの29歳の故郷探訪、もっといえば故地探訪の試み
と思う。
東区の丘珠で生まれ、現在は石狩川に近い藍の里に住む
いわば札幌郊外育ちの人間の眼から見た故里の姿である。
同じ郊外でも移住者の歴史が残る丘珠地区と新興分譲住宅地
として拓かれた藍の里では、違う空気が流れている。
さらにこの後都心や円山、山鼻や琴似と西南の山側の住宅街
さらに川向こうの丘陵地帯と未知なる札幌が広がってくる事だろう。
故<郷>や故<里>として、<ふるさと>も<こきょう>もなく、
今は故<地>として、自らの<地(ランド)>を確かめていかねば
ならない。
折りしも昨夜原発事故で無人の村となった飯館村の別れ別れに
暮らすかっての愛犬と飼い主の再会の記録がTVで映されていた。
3時間だけの村での再会である。
かって一緒に走り回った故郷の山を飼い主と愛犬が廻る。
しかし犬は少しも喜ばず、いつも乗っていた軽自動車の荷台
に戻り、そこから出ようとしない。
飼い主とその車だけが心休まる場所なのだ。
故郷の山地はもう別の匂いがする。
かって住んでいた自分の犬小屋にも見向きもしない。
見た目の風景は変わらずとも、犬の敏感な臭覚はすでにこの地
の異常を感じとっているのである。
そこは郷でも里でもない。
もう別の場所である。
これと同じ現象が都市では頻繁に起きている。
放射能の所為ではない、<郷>と<里>の喪失である。
物流や物質至上主義の流通構造が、その変化を形成してゆく。
都市が飯館村と違う所は、目に見えて風景が変わる事である。
愛犬は可視の風景の虚偽を動物の鋭敏な臭覚で見抜き、山野を
走る事の大好きだったかっての故里の喪失を態度で示したのだ。
一方で我々人間は、目に見えて変わってしまった故里を、その見えなく
なった故里を自らの手で見つけなければならない。
山田航の今回の連載に期待するものがあるとすれば、その見えない
<里><郷>の故(ゆえ)を、不可視の故郷・故里として発見する事で
あると私は思う。
2年前まで山野とともに在った愛犬と飼い主の生活。
その風景は可視の部分では何も変わらずに存在しているのに、不可視
の部分では全く別の次元へと移行していて、その転位を動物は鋭く見抜
いていた。
私たちが出来得ることは、見えない不可視の<里><郷>を再生する
故地(ホームランド)を如何に創り得るかという事である。
愛犬が不可視の風景を見抜いたように、人間もまた不可視の風景を
見なければならない。
それは都市の華やかな物流の陰に眠る見えない<郷>と<里>の
故(ゆえ)の所以を<地>として取り戻す行為でもある。
その再生の行為こそが、文化というものの大きな役割と思う。

 テンポラリースペース札幌市北区北16条西5丁目1-8斜め通り西向
 tel/fax011-737-5503

by kakiten | 2013-04-10 13:02 | Comments(0)


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