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テンポラリー通信

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2013年 03月 22日

生命線を今夜ものぼるー風の夢・弥生(15)

<いつも石狩川を渡っていた>と、アキタヒデキは書いている。
小さい時の思い出である。
旭川で生まれ育った彼にとって、この川は特別な存在である。
川とそこに架かる橋。
その記憶を写真と文で構成した2点組の作品が展示された。
それは現在の風景ではなく、記憶に在る風景をそこに限りなく
近づくように写真は構成されている。
その意味でこの作品は写真家の写真作品というよりも、もっと
アキタヒデキ個人の写真を使った平面作品とでもいえる固有の
作品と思える。
中に記された数百の文字が、今はない風景を語って切々と一気
に読ませるからだ。
そして今回アキタヒデキが選んだ一首。

   またの名を望郷魚わがてのひらの生命線を今夜ものぼる

彼がこの歌に惹かれたのは、夜毎望郷という名の魚が掌の生命線を
遡るという、故郷から離れて暮らす現在を見詰めた故であろうか。
旭川と札幌という異国とまでもいえない程のこの距離が、どうしてそこ
まで望郷の念を起させるのか。
それは多分川の違いが、旭川と札幌にはあるからではないかと思う。
源流に近い旭川の石狩川の川幅と河口に近い札幌の石狩川の川幅
の違いがそれである。
この場合川を渡るという感覚が、大きく相違してくる。
アキタヒデキの渡って来た遠い記憶の河と橋には、河口近くの橋とは
違う親密感がある。
なにか秘密めいた親密な境として、川も橋もあると私には感じられる。
私の知ってる石狩川の橋とは、巨大なッブリッジであってそこは親密さ
とは程遠い小さな海の延長のようにある。
彼が語る石狩川と橋はもっと親密な境界のようにあって、尽きせぬ故里
の境界線のようにある。
一本の川、そこに架かる一本の橋がこのように深い親密感を保って
語られるように、私にはそんな記憶が存在しない。
平坦な石狩平野の真中の街中で生まれ育った人間にはそれがない。

人は人それぞれの故里の風景がある。
アキタヒデキが切々と語っている故里とは、川と橋の記憶が織り成す
遠い<里>・<郷>から離れた故(ゆえ)の物語である。
そして我々の時代とは、この<里>からも<郷>からも遠くなった、漂流
する<故(ゆえ)>の呟き、望郷、といった自らの足下のランドを見詰める
孤独な浮島のような時代の故(ゆえ)であるのか.

  わがてのひらの生命線を今夜ものぼる

この生命線を遡る魚とは、アキタヒデキ自身の<故地(ホームランド)>
の源流探求から発する魂の謂いと思える。

*山田航歌集「さよならバグ・チルドレンをめぐる変奏」展ー3月31日(日)まで。
 am11時ーpm7時;月曜定休。
:野上裕之(彫刻)・佐々木恒雄(絵画)・藤谷康晴(絵画)・アキタヒデキ(写真・
 文)・久野志乃(絵画)・高臣大介(ガラス)・森本めぐみ(造形)・吉原洋一(写真)
 ・中嶋幸治(造形・メタ佐藤(写真)・ウメダマサノリ(造形)・藤倉翼(写真)・竹本
 英樹(写真)森美千代(書)+及川恒平(ソング)
:鼎談・3月23日午後5時~田中綾×山田航×及川恒平。

 テンポラリースペース札幌市北区北16条西5丁目1-8斜め通り西向
 tel/fax011-737-5503

by kakiten | 2013-03-22 14:37 | Comments(0)


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