早稲田の学生時代「都の西北」という校歌はメロデイーは別にして歌詞が今ひとつ
ピンとこなかった。土地感が上京して間もない性かなにが西北か分からない事も
あり季節感がさっぽろとは、ずれていたからもある。そんな時コンパかなにかの集
りがあって北海道の歌か札幌の歌を唄えと言われて困ったことがあった。群馬の
人は「信濃国の国歌」とかいう昔の唱歌みたいな調子の歌を唄ってこれが故郷の
歌だと威張っていた。私は当時ゴキブリも知らず”カブトムシだ”と騒いで下宿の
笑い者にされたくらいだから逆に北海道出身と言う事をえらい意識していたが歌と
いわれてはたっと窮したのだ。その時ふっと思い出したのが北大の寮歌「都ぞ弥
生」である。特に3番の<寒月かかれる針葉樹林橇の音凍りてものみな寒く野も
せに乱れる清白の雪しじまのあかつきひひとして舞う>という冬の章はじ~んと
した。<ああその蒼空梢つらねて樹氷咲く壮麗の地をここに見よ>と終えると生
意気な横浜出身の学友が”なんか偉そうな歌だなあ”と冷やかすような一目置く
ような目で見た。それから奴とは親友になった。今新たな地を選んでそこが<都
の西北>であり決心したのが<都ぞ弥生>の3月であつたのは不思議な偶然の
ようにも思う。北大の寮歌ではあるがこの詩にはさっぽろの四季がすべて唄い込
まれている。今はもう喪われた自然がそこにはある。特に2番の秋の章にはそ
れがある。「豊かに稔れる石狩の野に雁はるばる沈みてゆけば羊群声なく牧舎に
帰り手稲のいただき黄昏こめぬ」は象徴的だ。雁はかりがねと読みこの雁はもう
北海道にはいなくてかって立松和平がどこかのTVで中国まで探索にいく番組を
見た事がある。羊群は近代外国の学者が日本に持ち込んだ近代の象徴である。
また手稲の頂上は現在TVの送信塔が林立していてゴルフ場スキー場と現代の
象徴と捉えられる。その後に続く「雄々しくそびゆるエルムの梢」は春楡の事で
かってエルムの都と言われたさっぽろを代表する樹である。アイヌ語ではチキサ
ニ、月寒の語源といわれ豊かな扇状地であるさっぽろに多い樹であった。従って
この歌にはさっぽろの自然、近代そして現在がすべて要素として入っているのだ
。今雁は消え、輸入された羊が観光用にその名も羊ガ丘というクラーク像のある月
寒の丘に。そして本来浜辺に咲くハマナスを生態系を無視して1000メートル近く
の手稲山の頂上に植え札幌の花だとPRする鉄塔の林立する手稲の山頂。<黄昏
こめぬ>とは皮肉ですらある。北大のある種のアカデミズムはこの優れた先人の
謳った自然を忘れひたすら<黄昏こめぬ>方向へ協力するパブリックアートや創成
川ネッサンス運動に血道を上げているのだから。さっぽろが文化として自立する為
にも「都ぞ弥生」は秀れて現代に対するさっぽろの基軸を歌で示していると思う。