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テンポラリー通信

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2013年 02月 12日

秋元さなえ展始るー燃える如月(7)

121年前江別に移住してきたひとりの男が、野幌丘陵の
端に立つ河傍の小丘を見て故郷の丘を思い出した。
そして故郷の丘と同じ名前を付けたという。
それが飛鳥山という名の由来という。
そのふたつの丘を訪ね、映像と写真で構成したのが、
今回の展示の主題である。
作家の故郷の江別市と東京北区王子に立つふたつの小丘
が、時空を超えて顕われる。
ともに河近くに位置する小高い小丘。
時を超えて最初に住み着いた人々の生活環境に適した
位置にあったのだろう。
水と食料を得やすく、交通にも便利な地形である。
そのふたつの地形を作者は歩き探索し、自らの故郷を
確かめようとする。
郊外の住宅団地やマンシヨンを故郷とする<住>のパック
地域を故郷とする時代に、故郷(ふるさと)という概念はすで
に死語に近いものとなりつつある。
故郷とは時にお金で買われる所有的存在でしかない。
<小鮒釣りしかの川、兎追いしかの山>
と唄われた故郷(ふるさと)は遠く、<住>のパック化した集合体、
人工的な故郷が増えているからだ。

フクシマの原発事故で防風林を切り倒す話が報道されていた。
いくら家の放射能を除洗しても、周囲の数値が下がらない。
そこで家の周りの防風林に放射能が蓄積している事に気付く。
その結果先祖代々守られてきた防風林を切り倒す事になる。
この家を守ってきた林は人間の手で植樹され、風や雪時に火災
からも家を守ってきた自然である。
それは先祖代々守ってきたその家の小さな里山・里森でもあって
人間社会と自然界の境界という世界に立つものだ。
そこに放射能が蓄積している。
そしてその界(さかい)の世界が切り倒される。
これも故郷喪失の現代の風景である。

秋元さなえは、札幌郊外の明治開拓とともに拓かれた石狩川に
近い江別市の小丘の地形から、故郷そのものを再発見しようと
試みている。
その行為は現代の故郷喪失の現実に対峙して、故郷再生を試み
る意思としてあるように、私には感じられる。
故郷とは何か。
自分は何処から生まれ、今何処にいるのか。
そうした個的な営為こそが今信じるに足る真摯な行為であるかとも
思える。
かって自然と人間社会の接点として、<故郷>という境界(さかい)の
世界があったのではないか。
自然と社会の拮抗する調和世界。
どちらか一方に偏らない、均衡するゾーンを人はかって故郷と呼んだ
のではないだろうか。
里山や小さな鎮守の森、防風林も含めて親和する自然が人間社会
の傍にあった。
秋元さなえの見詰めた小さな丘もまた、そうした界(さかい)のゾーン
に立っているように思うのである。

*秋元さなえ展「121年前のよろこび」-2月12日(火)-21日(木)
 am11時ーpm7時:月曜定休。
*今田朋美×久藤エリコ展「ハツゲン」-2月24日(日)-3月2日(土)

 テンポラリースペース札幌市北区北16条西5丁目1-8斜め通り西向
 tel/fax011-737-5503

by kakiten | 2013-02-12 13:21 | Comments(0)


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