雨雪、風強し。
夕方から気温が下がる予報なので、雨で濡れた雪道は
つるつるのブラックアイスバーンになるだろう。
横を疾走する車に歩道の前後左右足下と、一瞬の油断
もできない。
昨年転倒して左手首を骨折した事を思い出す。
近道をしてそれが不安定な路面で油断したのだ。
急がば廻れ、である。
地下舗道や地下鉄はその心配は無いが、他の与件が
過剰である。
歩行が鋭角的で、絶えず耳には情報が届く。
歩行のない地下鉄車内で人は寡黙だが、車内放送は
ほとんど絶え間なく流れている。
停車し出口から出る人は、再び鋭角的な歩行に戻り一散に
次なる出口へ足早に流れる。
つるつるの舗道では個人的な格闘技のように歩行は変化し、
鋭角的な歩行は危険となる。
ぶらぶらと逍遥する歩行の楽しみは、この季節の都会には
欠如している。
都市とは過度に過剰な与件に満ちて、空間もぎっしりと詰まっ
ている場である。
物・人・情報が鋭角的に空間をぎっしりと詰め込んで、隙間が
薄い。
最近歩いていないが、かってカンジキで雪山の山麓を逍遥し
ていた事があった。
山スキーもしていたが、カンジキで真っ白な雪の上を踏みしめ
時に大きな木の梢を見上げ、ぼんやりとするのが楽しかった。
空間が良い意味での透き間だらけで、そこから新鮮な未知の
世界が垣間見えたのである。
世界は出口ではなく、たくさんの入口に満ちていた。
都会では・・と、ふっと思う。
人は皆、出口を求めて急ぎ足だ。
出口の為に歩行している。
だからいつも急ぎ足の鋭角的歩行なのだ。
自然界では出口より入口が主である。
帰り道はあるが、それは出口ではない。
古アイヌ語に入口を意味することばが多いのも、自然とともに
生きた先住民の当然の所為だろうと思える。
イ・プツ=入口:江別:勇払。
イ・パル=入口:夕張。
アフンルパル=あの世への入口。
本当は人は入口を求めて生きているのではないのか。
出口を求めて生きてはいない筈だ。
口とは食物を食べる口でもある。
美味という喜びは口から生まれ、決して出口から生れはしない。
美味しいと感じるのは入り口からであって、出口からではない。
歩行もまた世界に入口を発見する事から、喜びが生まれるのが
当然と思われる。
*高臣大介ガラス展「あふれでる。」-1月29日(火)-2月3日(日)
am11時ーpm7時。
テンポラリースペース札幌市北区北16条西5丁目1-8斜め通り西向
tel/fax011-737-5503