見事な展示空間となる。
正面壁には昨年12月19日エルムゾーン歩行の吉増剛造さん
一行を記録した吉原さんの六っ切りモノクロームの写真が広がる。
その手前に今回の主題ともなる吉増剛造の大作詩草稿ファイル
が机に置かれて、その上の吹き抜けには2階天井からX状に吊ら
れた写真が連なって左右に留められている。
そして左側北壁には六ッ切り写真と同じ大きさの3台のモニター画面
が設置され、真中の映像は昨年暮の吉増剛造展を撮影した8mm
フイルムの映像で、左右の2台は冬の石狩河口と海の映像が流れる。
これが同時に上映されているのだ。
そしてこの3台のモニター映像に大きく重なるようにその内のひとつ
がプロジェクターから大画面で映し出される。
これらは不思議なダブル画像となって、スピーカーから流れる石狩
河口の風と波の音と共に昼夜の光によって変化する。
映像は鈴木余位さんが昨年訪れた際撮影されたもので、もともとは
今回の展示を意識されたものではなかった。
今回の展示は数的には3人であるが、作品そのものは全く個々に試ま
れたものである。
一年間意図して吉増剛造を撮り続けていた吉原洋一さん。
ふっと思い立って札幌を訪れ、石狩河口を放浪し8mm映像を撮って
いた鈴木余位さん。
展示で来廊したふたりは、実は今回初めて顔を合わせたのである。
にもかかわらず共通する主題は、石狩河口への道行きであり同時に
吉増剛造への尊敬の念でもあるだろう。
今回の提供された吉増さんの未完の詩作品250葉の草稿展のサブタイ
トルともなった<’古石狩河口から書きはじめて>に象徴される<石狩
>へのそれぞれの道程こそが、3人をひとつとして見事な展示を引き寄
せた真の主役でもあるのだと思う。
初対面にも関わらずこの展示の2日間、ふたりは見事な共同作業で展示
を完成させた。
映像と写真と草稿。
この3人3様の表現様式を、個々の表現したものの深部においてひとつに
共鳴する空間に仕上げたのだ。
これは3人の並列した展示ではない。
3×1=3となった3人展である。
その3を収斂する<×1>の位相に、詩人吉増剛造そのものの存在と
見えない源としての石狩の存在が、共有する眼差しとして在るのだ。
静謐でかつ動的で稀有な美しい空間が生まれたと、私は今感動している。
*吉増剛造展「ノート君~’古石狩河口から書きはじめて」
:吉増剛造(詩草稿・映像)・吉原洋一(写真)・鈴木余位(映像)
12月11日(火)-1月13日(日)am11時ーpm7時月曜定休。
正月1,2,3日休廊。
テンポラリースペース札幌市北区北16条西5丁目1-8斜め通り西向
tel/fax011-737-5503