人気ブログランキング |

テンポラリー通信

kakiten.exblog.jp
ブログトップ
2012年 11月 29日

滑る道ー星雲・12月(3)

つるつるの路面をバランスをとって歩く。
今年初め夜道で転び手首骨折の記憶が横切る。
心と足下の集中力が失われると、足下が浚われる。
生活と同じ原理である。
公共料金という電気・電話・燃料等が足下を脅かす。
今冬もこれらを全部切られて餓死したという親子のニュ
ースがある。
<公共>とは一体なんであるのか。
正確には最低限の生命維持体(ライフライン)と言い換え
るべきだ。
食料・燃料というフイジカルな生活の足下とメタフイジカル
な理念・想念の世界とを併せて、人は生きる。
どちらに偏っても生活はバランスを失う。
氷結した路面の歩行と同じである。
というか、凍結した路面では歩行に全注意を集中しなけ
ればならない。
それが生活という闘う事だ。
人には身体の時間と心の時間というふたつの時間がある。
生き生きの<生き>とは身体に関わる生活で、活き活き
の<活き>とは、精神に関わる生活である。
ふたつの<生き><活き>を併せて、人は「生活」を送る。
どちらに偏っても<生活>は、生き生き、活き活きとは
ならない。

海で生きている男が訪ねて来る。
<生きる>糧を海で繋いでいる男が冬陸に上がり、
<活きる>場を画業に移す。
そんなに単純な設定ではないかも知れないが、少なくとも
生活の場は明らかに海から陸へと移動するのである。
海では身体そのものの労働であるが、海に出ない冬場の
陸の上では絵画を描く事が身体の主となる。
この時生活は<活き活き>と精神の領域になる。
勿論船上でも<活き活き>という感覚はあるのかも知れな
いが、基本となるのは身体労働を主とする<生きる>労働
であるだろう。
そんな陸と海の<生活>位相の相違を、ゆっくりと話して
みたい。
今日午後網走から来る佐々木恒雄の訪問が楽しみである。

*吉増剛造展「ノート君~古石狩河口から書きはじめて」
 :吉増剛造(詩草稿・映像):吉原洋一(写真):鈴木余位(映像)
 12月11日(火)-1月13日(日)月曜定休・正月3日休廊。

 テンポラリースペース札幌市北区北16条西5丁目1-8斜め通り西向
 tel/fax011-737-5503

by kakiten | 2012-11-29 13:22 | Comments(0)


<< 皺寄るようにー星雲・12月(4)      嵐の後ー星雲・12月(2) >>