一昨日の朝今年初めて雪虫の舞うのを見た。
最初はひらひらと薄い細かな紙片のように感じていたが、
それが雪虫だった。
どんよりした生暖かい日で、ふわふわと空中を漂うように
淡い生き物である。
晩秋だなあ、と紅葉の進む木々の梢を見上げる。
そんな穏やかな曇秋の一日が暮れて、夜は熱い宴の時が
あった。
日があらたまり休廊日明けの昨日、早速宴の反応がネット
上に踊る。
悪意はなくとも濃い時間には時として暴走もある。
普段抑制していた感情が緩んで、時として思わぬ不快を
他者に与える事もある。
夕刻来た有山さんと、学生時代を思い出すなあと話した。
その後一昨日のお礼も兼ねて、宇田川さんの居酒屋に
顔を出す。
店には何も迷惑は無かったよ、と店主が応えた。
折角の目出度い出版祝いの席である。
ひとり胸に抑えて、後から呼びかけ人である私にその胸の
押さえを吐き出したのだろうか。
メールをくれた若いふたりにお詫びと原因となった年長の友
人を窘めるメールを3人に送信しその往還で昨日は半日費
やした。
心の篭った良い集まりだっただけに、一点の心の汚点が深く
なる。
誰も悪意を持ってそうした訳ではない。
心の解放がほんのちょっと暴走すると、それぞれが解放され
ている分だけ無防備になった心に深く突き刺さるのだ。
大勢が集り宴会となると無礼講になって、時としてこういう事態
が起き得るのだ。
私も他人事ではなく、お酒は気をつけなければならない。
雪虫のように微かな風に舞い、ゆらゆらと自在に生きる事は、
なかなか出来ないものだ。
ゴツン、と鋭角的に人は摩擦を起しながら生きるのが常である。
東京のM氏からそれに関連するようなメールが届いていた。
今展示している岡部昌生と私の関係について、M氏は
「夫唱婦随」ならぬ「夫唱夫唱」だったね、それはそれで良いよ。
というような内容だった。
どちらも婦随にならず夫唱だったから、時にぶつかり対立も
する。
今回時を経て、こうして初期からの岡部氏の作品を展示して
思うことは、ああ展示できて良かったなあ、という長年の突っ掛
ったものがすっととれたような感じである。
良くも悪くもそれが過ごしてきた時間の量なのである。
特に分厚い資料ファイルに包含されている葉書、手紙類にその
事実を感受する。
この資料ファイルを見ている時自分は、多分ふわりふわりと
過ぎ去った時空を心の雪虫のように漂っているような気がする。
*収蔵品展「岡部昌生初期作品を中心に」-10月23日(月)-
11月4日(日)まで。am11時ーpm7時:月曜定休。
テンポラリースペース札幌市北区北16条西5丁目斜め通り西向
tel/fax011-737-5503