野上裕之展最終日。
午後から山田航さんが来て、21日の出版記念会と来年3月予定
の展覧会の打ち合わせをする。
タイトルは、<「さようなら バグ・チルドレン」をめぐる15の変奏>
会期は3月16日から31日まで。
彼の歌集の内から一首を選び、それぞれの作品で表現する展覧
会である。
参加作家依頼の確認と21日の出版記念パーテイーの段取り等
を話し合う。
夕刻活字職人の酒井博史さんがギターを担いで現れる。
教育大生の瀬戸くん、写真家の秋田奈々さん、美術家の田村さ
んも来て、やがて酒井さんが歌を披露する。
良く響く歌声に引き寄せられたように、通りすがりの若い学生風
の男の子が入って来た。
構わず酒井さんの即席ライブは続き、最後は中島みゆきの「ファイ
ト」熱唱で終った。
いつもの事ながら酒井さんの深く沁み入るような歌声には、胸が
熱くなる。
友人の野上さんに捧げた個展最後の夜である。
即席ライブが終わり酒井さんたちが帰った後、入れ違いのように
美術館のF氏が来る。
そこへ野上くんの先輩の美術家の久野志乃さんも見えて、残って
いた後輩の瀬戸くんと3人でしばし雑談に花が咲く。
今回の展示については、評価が高い。
会場の構成が作家の深度を保っていた事が大きな要因である。
美術館の専門家であるF氏に高く評価を受けたのは嬉しかった。
会場が狭いから美術館の場合とは比較にならないからと言ったら、
そういう問題ではない、と言下に否定された。
本当は私も謙遜して言ってみたのである。
会場の物理的広さと中味は関係は無い。
作品を通して作家の生き様が純粋に結晶して顕われる事が第一
なのだ。
ひとりの真摯な人間の生き様が作品を通して、見る者の心に沁み
入るような対話と対峙の空間で在る事。
そして誰よりも毎日その空間の傍に立つ私自身が、場を媒介として
対話し続ける事。
それがすべてである。
しばらく会場を使う人が絶える。
寂しい事である。
札幌国際美術展やら地下舗道の500m美術館やらへと吸引される
美術状況とは何処かで対峙するこんな場末の小さな画廊には、札幌
の作家多くは遠くなってしまったのだろうか。
逆に地理的に遠くにいる表現者、美術のジャンル外の表現者たちとの
回路が熱く繋がってパルスを送ってくるような気がする。
札幌でありながら札幌を消して北海道へとウルトラ化し名乗るような
国際美術展などに、何故人は惹き付けられるのか。
ヴェネッイアはあくまでヴェネッイアであり、横浜はあくまでも横浜で
ある。
決して神奈川でもイタリア美術展でもないのだ。
固有の土地を固有の魅力として、その違いが違いを開く深度を保たず
して、どうして真に他者へと場は開かれ得るのか。
個の固有性と場の固有性こそが、文化の基底を為す根源ではないのか。
物流の密度や物流のインフラ装置にばかり目を向け、その華やかさと
引き換えに固有の創造媒介土壌を喪失する危ういグローバル因子が
コンピューターウイールスのように蔓延っている。
アートが都市風俗のようになる所以である。
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