最新のアフンルパル通信13号に吉増剛造さんの「黄泉の小径」という
文章が載っている。
写真家の東松照明さんに宛てた語りの一文である。
この中で東松さんの写真の色に触発された美しい記述が印象に残った。
・・・2年間サンパウロ大学の客員教授をやってポルトガル語を覚えるのが
めんどうくさいからどんどんコミュニケーシヨンできなくなって、全くノイロー
ゼ状態になったときに、外界の光が僕のなかに刺青みたいに入ってきてい
たんですね。黄色や緑色やきらきらする風のそよぎが入ってきてた。
この鉛筆のように、これも鉛筆だ、太陽の鉛筆だ、言語をはるかに越えた、
風の色、光の風が吹いてきているな・・・。
今年5月八木保次さん・伸子さんの追悼展をした時、久し振りにふたりの作品
を見て感じたものが正にこの光の色彩だった。
そこには抽象とか具象といった差異は感じられなく、ただただ北の春の光彩が
溢れていた。
伸子さんの絵画に福寿草の燃える黄色の光を、保次さんの絵画にフキノトウの
萌える緑の光を感じていたのだ。
陽光を浴びて、色は彩(いろ)となって放たれていた。
<これも鉛筆だ、太陽の鉛筆だ、>というのは正にこの時の実感でもある。
彩は光の色だ、と亡くなった保次さんが言っていた事を思い出す。
今回の「アフンルパル通信」13号は、この吉増さんの一文を始めとして、力作
が揃っている。
山田航さんの長歌「啄木遠景」も優れた試みである。
啄木よ きみがどうして北の地へと渡って来たか
今ならば少しはわかる
首都でなく、あるいはふるさとでもなく、はぐれた鷲のような旅
吉増さんの東松照明論は沖縄の光を主題にして、山田さんは啄木の北の放浪
を主題にして、ともに現代の基底となる光景を問うている。
この小冊子が、こうしたラデイカルなテーマを基軸としながら続けて編集構成
されていくなら、希少な印刷文化として今後の動向が活目されるものと思われる。
その吉増さんからA4版4枚に書かれた手紙が届く。
昨年末の「石狩河口/坐る ふたたび」展から始った長編詩の試みはすでに
4千行を超えたという。
・・・でも、もう”行”ではかぞえられずに、葉ッパ・・・(うん)百葉みたいにて、
十二月temporaryにはこび参りますこと命にございます。
今日のブログの反公共、痛切、痛烈にて、共生のページをひらくことに、
これからもなりましょうか、・・・。
さらに今年年末展示への熱い思いが書かれていたから、あらためて私も心に
深く期する物がある。
それにしてもいつのまにか遠くで、ここに打ち込む雑文をこうして読まれている
のかと思うと、冷や汗が出る。
*「記憶と現在」展ー8月17日(金)-31日(金)am11時ーpm7時
月曜定休。
*秋田奈々写真展ー9月中旬~。
テンポラリースペース札幌市北区北16条西5丁目1-8斜め通り西向
tel/fax011-737-5503