人気ブログランキング |

テンポラリー通信

kakiten.exblog.jp
ブログトップ
2012年 08月 09日

公共という事ー熱月・8月(10)

路傍の小さな蜻蛉の生命も含めて、大きな自然との拮抗を考えず
人間社会だけの公共という考え方はもう独善的ではないのか。
私たちを取り巻く環境には、昆虫も植物も人間以外のさまざまな
生き物の命の創造が存在して、それらがそれぞれ有機的にも繋が
っている関係性の内にある。
時にその関係性は闘いでもあり、時に共存でもある。
そのどちらかだけが一方的に繁殖・繁茂しても、自然界のバランスは
崩れ繁殖した方もやがて滅亡する。
関係性の拮抗が必要なのだ。
従って公共とは、本当は共生として位置付けるべきものと思われる。
人間が造ったものだけが公共という概念は、非常に限定的なものである。
公共事業とか公共施設とか<公>という社会的上部構造が反映して
あるように思う。
共生という自然を含めた概念から、本質的に組み立てねばならない。

今村はまなさんの作品集「私もその自然の中の一部なんだ」を読み
返しながら、また先日見せて頂いた生前の電動車椅子で嬉しそうに
山道を移動するTV画像の様子を見ながら、素直に感じた事でもある。
人が命の瀬戸際で澄んだ気持で周りを見まわす時、そこにさまざまな
生命の営みのある事を知る。
自らの難病という社会的環境もさる事ながら、目はもっと大きな環境へ
と開かれてゆく。
その素直な認識が、本の表題ともなった「私も自然の中の一部なんだ」
という言葉である。
この認識に公共から共生という概念が裏打ちとして在るように思える。

共生という思想のない公共という概念から構造された地下通路や建築物
に美術を展示する風潮が盛んである。
パブリックアートとかいう類だが、直訳すれば公共美術という事である。
そこには都市内公共性が本質としてあっても、都市を取り巻く自然環境
への共生の視座は乏しい。
従って都市という人工的な箱の中での共有概念の有無が問われるだけだ。
その意味で非常にデザイン的世界へ近づいたものが、昨今のアートという
言葉の氾濫にも象徴される美術の風潮と思える。
人間の造った都市構造の中での有用性・有効性を保つ効能の方に力点
がかかっている。
この時有効な言葉がパブリックアートという公共概念に裏打ちされたもの
で、<私もその自然の中の一部なんだ>という共生の概念はここには稀薄
である。
在るのはむしろ<都市の中の一部なんだ>というアートデザイン感覚が
主流と思われる。
都市そのものが自然との拮抗より対峙・征服の観念から成立する事が
多い現在、それは都市帝国の内部の共有、つまり公共という概念の内に
閉じてしまうのは必然と思われる。

*「記憶と現在」展ー8月17日(金)ー31日(金)am11時ーpm7時。
 月曜定休。
*秋田奈々写真個展ー9月予定。

 テンポラリースペース札幌市北区北16条西5丁目1-8斜め通り西向
 tel/fax011-737-5503

by kakiten | 2012-08-09 13:58 | Comments(0)


<< お盆に入ってー熱月・8月(11)      不眠ー熱月・8月(9) >>