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テンポラリー通信

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2012年 06月 22日

風孕むようにー命月・6月(15)

出立とはどのように訪れるのか。
時代というものもある。個別性というものもある。
一概にはいえない。
私が思う出立とは、その言葉に最初に深く触れたのは岸上大作の
短歌の一首である。

 断絶を知りてしまいしわたくしにもはやしゅったつは告げられている

          (「意志表示」-しゅったつ)

辛い恋とか政治的な状況とか、ここには時代も青春も深く関与していたと思う。
しかして、それを回顧的に思い出しているからではない。
<断絶を知りてしまいしわたくしに>という位相は、決して回顧ではないと思う
からだ。
断絶という意識の位相は、現在はもっと広くその裾野を保って散乱して在る
ように思えるからだ。
<断絶>を明確に意識する出立の意志表示の濃厚な時代というものがあった
とするなら、現在はもっと日常的なさり気ない顔をした断絶の時代でもあるだろう。
それはあたかも原発(日常)という核の時代と、原爆(非日常)という核の時代の
差異のように、断絶の見え難い時代なのかも知れない。
与件としての時代状況は違うにせよ、人はいつの時代も真摯に生きて出立する。
その出立意識の在り様こそが、真に信じるに足る価値である。
森本めぐみの「舟が来る」を見ていると、そこには熱気球の熱風が孕むような
出立の在り様が感じられてくる。
<知りてしまいし>というような明確な断絶意識から生まれたものではない、
もっと内から燃え上がるような出立の姿である。
火山のように、マグマのように噴き上がってくる。
そしてその先に<舟がくる>。
そこへと噴き上がる跳躍、その内なる力が出立を告げる。
理念として遠い未来があり、そこから現在を発って出立がある訳ではない。
従って<断絶を知りてしまいしわたくし>という認識の位相は見えない。
断絶も理念も外側に位置している知的概念であって、そこを見るという視座から
彼女の出立は生まれない。
もっと内なる竜巻のように湧き上がるなにかである。
今信じるに足る<出立>とは、理念的認識的知の地平にはもうなく、内から
湧き上がる跳躍への願望、それしかないのではないのか。
ふとそんな感想も抱くのである。
まるで欄外に付記されただけのような小さな小舟を眺めながら、この大作の作品
名が「舟がくる」とだけ記されている事に、現在の<しゅったつ>の保つ真摯な在り
様を思うのである。

*森本めぐみ展「舟がくる」-6月24日(日)まで。am11時ーpm7時。
*藤谷康晴展「WILD BRIGHTNESSー幻視の狩人」-7月5日(木)-
 15日(日)

 テンポラリースペース札幌市北区北16条西5丁目1-8斜め通り西向
 tel/fax011-737-5503

by kakiten | 2012-06-22 13:31 | Comments(0)


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