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2012年 06月 21日

跳ぶ命のようにー命月・6月(14)

横幅約3m20cm縦幅1m20cm弱の「舟がくる」。
この森本めぐみ作品は、俯瞰して見る視座と近距離から微視的に見る視座
の両方を楽しませる要素がある。
その点が絵図のような物語性を感じさせる要因でもある。
しかし次第に展示も落ち着いてくると、やはり俯瞰した構図の迫力が良い。
画面を大胆に左から右に横切る白い描線が、段々跳躍する太股のようにも
見えてきた。そうした事を感じさせる身体性を保つ作品と思える。
その身体性とは非常に女性的なものでもあって、この作品の反応の多くは、
女性の観客からの反応が顕著である事からもそう感じられる。
そしてそのアクセスの仕方が、白い太股のような描線の内側に広がる赤い炎
のデイテールに近付いて見る事から始るようだ。
大きな孤を描く白い左右の描線には、直接触れない。
きっと意識の外側では認知しながらも、目は細かなデイテールに集中している。
一方男性の観客は概ね全体の構成から左右の孤を描く白い描線に注目して
から鑑賞が始るような気がする。
従って直後の感想のストレートさは、圧倒的に女性の方が率直である。
きっと何かを即感じて共感するようだ。
画面左上の隅に小さく舟が描かれている。
これがタイトルともなった「舟が来る」の舟であろう。
タイトルに比して、本当に小さな小舟である。
逆に言えば、舟の存在よりも舟に乗り何処かへと移動する予感の確かさという
存在感の方が圧倒的に比重を占めている現在が感受される。
その跳ぶというリアリテイが、不確かな未来よりも確かな今である事。
こうしたリアリテイの保ち方とは、ある意味で非常に女性的な凛々しさのような
ものを感じてしまうのだ。
仮にこの主題を男性性として想定した場合、「舟が来る」は「舟に乗る」へと
微妙にその位置を変えるような気がしてならない。
その時「舟」はもう少し大きな存在として理念的に象徴化されるだろう。
この絵のように左上の隅に小さく小舟のようには描かれないように思える。
遠い理念に向かって燃える情念もあれば、遠い理念に向かう今に燃える
情念もある。
そのどちらが良いとかいう優劣はない。
あるのは女性的な情念の在り様と男性的な情念の在り様の僅かな相違だけ
である。
何度か見ている内に帰り際、入口近くから俯瞰するように作品を見ていたある
女性が、此処から見るのも良いねと呟いた。
それを聞いて、ふっと気付いた。
最初俯瞰して見ていた男性は、後からデイテイールに近付き鑑賞していた。
女性は最初デテイールに触れて帰り際に俯瞰していた。
この相違はすべてではないけれど、概ねそうであってこの違いはきっと
未来というものに対する接し方の男女の相違でもあるような気がする。
仮に<舟>というものが未来を象徴するロマンだとすれば、この未来の
ロマンへの男女の命の駆け方の相違とも思えるのだ。

 自分や家族の幸せだけを考えず、多くの人々の幸福を追って生きるのが
 ”男のロマン”だったのでしょう。
 志を抱く夫を支えるのが、私にとっての”女のロマン”だと気付きました。

          (「潮と運河」愛した夫とー「私のなかの歴史」藤間扇玉)

遠い志の理念の実在感よりも、目の前の夫の生き方を信ずる理念(ロマン)
のあり様に、森本めぐみの<舟>の位相もあるような気がする。

*森本めぐみ展「舟が来る」-6月24日(日)まで。am11時ーpm7時。
+藤谷康晴展「WILD BRIGHTNESS-幻視の狩人」ー7月5日(木)-
 15日(日)

 テンポラリースペース札幌市北区北16条西5丁目1-8斜め通り西向
 tel/fax011-737-5503

by kakiten | 2012-06-21 13:17 | Comments(0)


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