定休日、旭ケ丘のA画廊で展示中の梅田マサノリ展を見た後、円山西町
から神社山と宮の森シャンツエの間の坂を超え、琴似川源流域の奥三角山
麓に出る。急坂の周囲は大分様変わりをしていて、途中何度か道を間違える。
もう何年ぶりかしら・・。
そして今回の目的の故八木保次・伸子さんの家を目指す。
ここでも一本道を間違え、小別沢のトンネル寄り下の道に抜けて遠回りした。
八木さんの家は変わらず在った。しかし鍵がかかって無人。
軽く心の中で手を合わせ、かって夜明けの御来光をふたりで逆立ちして見た
2階のヴェランダを見上げて、場を辞去した。
急な坂を下りながら、途中一瞬目の前に東の空が広がる。
下には琴似川の流れる谷が広がって、東北の方へと視界が開けている。
川の源流域から扇状地を経て石狩の海へ。
この眺望だなあ。
ここから私の札幌身体(ランド)体験が始ったのだ。
突き上げるようにふっと思い、心に立つものがあった。
三角山から大倉山、そして荒井山から神社山。後に奥三角山を背にして
東北部へと琴似川の流域が柔らかく広がって、遠く夕張山地を望み左手
北東部に樺戸山塊そして石狩の海がある。
陽が昇り、海があり、山がある。
川が下って谷間ができ、その開かれた空間にランドが広がっている。
両脇の山並みに繁る緑、そこから遠く広がる谷間の向こうの大地。
ここを起点にして見えない札幌を有機的に再生する自分の生き方の出発
が在った。あらためてそう思うのだった。
そこからさらに坂を下って、かっての自宅の跡を通り抜ける。
分断され更地と一軒の家が建つその場所には、懐かしい庭木がまだ立って
いた。石塀もそのまま残っている。
それからさらに下って、ユースの森を抜け神宮の森を抜けて帰宅した。
八木保次・伸子さんが相次いで亡くなられ、一度は訪ねたかった宮の森の
ご自宅。その思いを果たせて、同時に自分自身のここで生きる原点の風景に
触れることができたような気がする。
追悼と私自身の原点の小さな旅だった。
*森本めぐみ展ー6月17日(日)まで。am11時ーpm7時。
テンポラリースペース札幌市北区北16条西5丁目1-8斜め通り西向
tel/fax011-737-5503