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テンポラリー通信

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2005年 12月 21日

とうとう期日が決まった

明年1月末迄に、立ち退きとなる。今日裁判所執行官みえて、宣告。
とうとう期日が決まった。<農>の街ともお別れとなる。ここは今や
宮の森ー円山地区として高級住宅、マンソヨンの立ち並ぶハイブロー
なイメージだが構造的には<農>を基本とした山裾の自然に近い村
である。その事をなにより証明するのは、かっての幹線琴似街道である。
琴似ー円山ー山鼻の各村をつなぐ琴似街道は、市場をつなぐ道で
各村沿いに三角山ー円山ー藻岩山と西の連峰が見え、二十四軒卸
売り市場ー円山市場ーなんまる(南円山公設市場)と農産物の物流
の道が続く。今は自然に近いのを売り物に、エレベーターや車を抜き
には住めない<住宅>群が高さを競うように、空を山を埋め立てている。
私がこの街で発見したのは、そのビルの合間を縫うように流れていた
川の痕跡だった。その川界川に沿って源流に拡がる原始の自然、近代
の爪あと現代の荒廃を同時に見ることができた。川はさらに川につながり
円山川琴似川そして篠路の旧さっぽろ川(伏古川)につながり、石狩川
へと続く未知のさっぽろを見ることができた。<農>の街は同時に源流域と
石狩の海への道でも私にはあった。それを教えてくれたのは見えない川、
今は暗渠になっている川の、不思議な暖かい痕跡その曲線の道だった。
川に導かれるようにそのフィールドワークが、さっぽろで表現に関る仕事
の私の土台となっていた。多くの作家がここを拠点に、海へ山へ川へ
と表現の場を広げていった。漁師が山へ木を植えるように自分の場を必然
としてオーバーフエンスしていつた。これがコンテンポラリーの意味だと
今でも確信してそう思う。<農>の街ゆえ残っていた山と川の痕跡その
構造は、今またさらに消去化が進み、<円山北町>という地名よりも<西28
丁目>というデジタルで空疎な地名(?)を街的と思う市街地に変わってきた。
<農>の構造は忘れ去られ、街の表面はビル風の吹き降ろす屏風のような
道ばかりになってきた。この街での敗北は、<農>を基本とする構造の
敗北ではなく、天に直線の、地に直線の政治経済の合理功利の街の侵食
に敗退したのだ。<円山村よ、琴似村よ、今こそ心のルネッサンスを!>
それがこの街に贈る言葉だ。     

by kakiten | 2005-12-21 17:32 | Comments(0)


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