昼食を買いに近くのスーパーへ行った。
弁当を買いすぐに外へ出たら、急に大粒の雨。
切ったばかりの頭がずぶ濡れ。
濡れて惨めになったら、何故か先日偶然見ていたTVのサクラとイチローの
演歌を思い出していた。
貧しさに負けた~
いいえ、世間に負けた~
びしょ濡れになって落ち込んでこの歌詞を思い出していた。
それにしても歌の内容と演歌歌手の衣装のギヤップには著しいものがある。
大体不幸や悲しみを唄う内容と正反対のピカピカの派手な衣装である。
この目に見える虚構性に安心して、人は唄われる不幸を味わうのだろうか。
見た目も貧しければ、あまりにリアルとなるからである。
どこかで現実から逃避したいという願望が、この衣装の派手さに篭められて
いるのかも知れない。
最近送られて来た展覧会の大きな葉書には、120円の切手が貼られていた。
封書で80円、葉書の最大でも80円の切手が普通だから、このサイズは特別
な大きさである。
内容は3・11震災以降の<色>がテーマとある。
そして某画廊の開館5周年記念展がサブタイトルにある。
作家は国際展で日本代表ともなった著名な作家ふたりの名前がある。
開館を記念して大物作家の展示を企画するのは、それはそれでよくある話である。
しかしながら、その作家たちの主題が大震災以降の<色>が主題ともなれば
これは被災地及び原発事故以降の大きな不幸がテーマとなる。
実際この大型DMの写真は、放射能汚染により無人地帯となったフクシマの
飯舘村の農村風景である。
何かこの祝い事の記念展という華やかな衣装と展示主題のギヤップに、先程の
演歌のようなナルシスを感じてしまうのだ。
開館5周年記念にある意味日本を代表するであろう作家という派手な衣装と
主題となる原発事故で無人の村の悲哀。
企画する方も企画された方もまるで演歌歌手の衣装と歌の内容のように少し
ずれて、被災の真のリアルさからナルシステイックにずれているのではないか。
そんな気がこの立派な葉書を見ながら感じるのである。
展示を見る前の感想で申し訳ない事ではあるが、今回の大震災・原発事故
の大変さは、時に言葉を失い心の深部で受け止められるものと思う事が多い。
この悲惨を演歌の衣装と歌のようにナルシスに閉塞してはならない。
そう直感するのである。
被災地・フクシマの保つ都市構造は、ひるがえってすべてのわれわれの日常
にも深く根を張っている。
そこを掘り起こし共有する視座を獲得する為の営為こそが、表現者の責務とも
思える。
もっと地味で無口で、むしろ寡黙ならざるを得ないテーマのはずである。
折角のお祝い展にケチをつける気は毛頭ない。
ただお祝いと主題が、展示者企画者ともに少しズレているのだ。
その事だけははっきりと言わせて貰う。
企画者には展示者の有名性という衣装があり、展示者には不幸・悲惨という
被災の主題が優先して、場の記念展という晴れの衣装を見ていない。
そのいわば演歌的ズレが、この大型葉書に象徴的に顕れていると思われる。
*収蔵品展「5月・明暗の季節」-5月27日(日)まで。
am11時ーpm7時。月曜定休。
*大木裕之滞在制作展「メイ」-5月29日(火)ー6月3日(日)
テンポライリースペース札幌市北区北16条西5丁目1-8斜め通り西向
tel/fax011-737-5503