八木さんの作品を提供してくれたK氏が寄る。
週末に今回の追悼展に作品を寄せてくれたH氏、N氏、私を交えて
K氏とみんなで会場で飲もうか、と思っていたのだが、K氏は週末都合が
悪いという事だった。
そんなK氏と久し振りに円山の居酒屋Aに行く。
彼の馴染みの店で、もう私は数年行っていない。
阪神フアンの集まるおでんの美味しい居酒屋である。
K氏と店主は古くからの馴染みで、店に着くとK氏の表情はたちまち寛いだ。
話の最初は彼の夢であった書店を畳んでからの生活の話、家族の話など
だったが、自然と話題の中心は八木さんたちの作品のその後になった。
あの山の上のアトリエに残っていた作品はどうなるのか、あの家はどうなるのか。
Kは言う。あそこを記念館にして常設できれば良いなあ、と。
あの山上の東の空を望む空間に、そこで生まれた作品たちが風景と共に在る事
は、本当に理想的な事である。
あの空間の光と色に包まれて作品が並んでいたら、それは大切な札幌のひとつ
の財産ともい得る空間となる。
ふたりの画家が夫婦で晩年見詰めてきた札幌の光彩。
それがあの山上の場所にはあるからだ。
さすが2008年頃までおふたりの作品を常設で展示していた実績をもつK氏の
発想だ、と聞いてきて感心した。
住居兼アトリエだが、建物はどちらかというと普通の住居の造りだから、これを
常設の展示記念館にするには相当の手直しが要る。
しかも敷地もそんなに広い訳ではない。
実現は困難と予想されるが、そうしたいと思うK氏の気持ちが素直に私には伝わ
ったのだ。そんな事を今回の追悼展に作品を寄せながら考えていたのか、という
八木さんたちへの想いが充分に伝わってきたのである。
たしかに作品はこの後遺族の方の意思もあるだろうけれど、画商や美術館寄贈
あるいは形見分けという形で散逸してしまうよりも、ふたりの生まれた札幌を見渡
す、あの山上のアトリエに常設展示される方が幸せである事は明らかなのだ。
でもなあ、と我々はため息が出た。
そんなお金も方法も我々にはとても手段がない。
しかし、こうした発想がK氏と会い話す事で出た事だけでも、昨夜の大きな収獲
といえる気持だったのである。
土地とその場の光彩を併せて追悼する視点で、あの晩年ふたりが住んだ場所と
作品を考える事が実感して考えれたからである。
作品を通して、そこに作家が生きた場所と住居も含めて、さらにいえば札幌という
土地の風光も併せて深く愛されている八木保次・伸子であると、私は感じていた。
*追悼・それぞれの八木保次・伸子展ー4月29日(日)まで。
am11時ーpm7時。
テンポラリースペース札幌市北区北16条西5丁目1-8斜め通り西向
tel/fax011-737-5503