お願いした芸術の森美術館での1999年開催の八木保次・伸子展の
ポスターと資料を今日送ったとの連絡が、学芸員のY氏からある。
おふたりの生前の二人展としては最大規模の展覧会で、この時のポスタ
ーが今も深く印象に残っていた。
ふたりの追悼展には欠かせないものと思ったのだ。
私の持っていたものは、6年前の引越しの際紛失していたからである。
それがY氏の好意で快く送られてくる。
嬉しい事である。
こうして徐々に資料と作品が集まって追悼展が始る。
とりあえずの初日スタートは冷たい雨である。
K氏の作品はまだ到着していないが、友人の中ではK氏が一番の
八木作品コレクターである。
多分K氏だけでコレクシヨン展ができるだけの数があるに違いない。
K氏はかってやり手の書店経営者で、一時は郊外店を3店も経営し
本店ではギヤラリーコーナーも設営して八木さんご夫妻の作品を展示
した事もある。古本と新本の両方の本屋さんを設け、自分の夢を突っ走っ
た時期があったのだ。そうした時と八木さんの絵の収集の時期は高揚した
時として重なるのである。
某清掃用品の会社を経営するH氏は、同じようにある時期念願の自宅兼
演劇アトリエを郊外の春香山麓に建てた事があった。
ふたりとも長年の夢を実現した時期である。
今はそのふたりの夢の場所は無くなってしまったが、この時期間違いもなく
ふたりの夢を実現させた時だったのだ。
そういう時と八木さんの作品が購入されている時期が重なる。
ふたりがこの時何を目指し、何を実現させようとしたか。
その夢とこの時手に入れた八木作品は、心の昂揚部分において純粋に
重なった在る。
現実は移ろい変容し、消えていくけれど、作品は変わらずより凝縮して
存在感を増す。
K氏やH氏は大学以来の親友であり、ふたりの人生上に存在する八木さんの
作品はその心の光と影の境を彩る存在と思う。
もうひとりのN氏は、登山家として名を成した人だがこの時期アイヌ学への
実践者としてそれまでの行き方を変えつつあった時期である。
山登りのノウハウから、自然そのものに沿った生き方を模索しアイヌの人
の考え方に生きる方向性を見出していた時期であった。
某ベストセラーの登山ガイド本の筆者を降りて登山界から抜けた時期である。
そんな時に八木さんの描く色彩と出会っているのだ。
従って今回の作品提供者はそれぞれに人生上のある転換時期に交流が深まり、
八木作品がその線上に存在して今にあるのである。
かく言う自分自身も今を生きる札幌人生の入口に八木作品は存する。
そしてかつ八木さんを含めたこの3人との交流もまた、ある時期ひとつの時代の
ように存するのである。
そんな色々な思いを込めて「それぞれの八木保次・伸子」展が始る。
その各々の作品の彩(いろ)は、どんな彩となって再び発ち顕れるのだろうか。
*「追悼・それぞれの八木保次・伸子」展ー4月17日(火)-29日(日)
am11時^pm7時・月曜定休。
テンポラリースペース札幌市北区北16条西5丁目1-8斜め通り西向
tel/fax011-737-5503