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テンポラリー通信

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2012年 04月 13日

風渡るー光陰・4月(9)

いつでも会えると思っていた人がふっといなくなって、その喪失感が
じわっと深まってくる。
ここのところそんな気がする。
思えば現在地に引っ越してから一度も会ってはいない。
さらに振り返れば、もう10年近くも会っていないのかも知れない。
それでもそう思えないのは、一緒に走り回った札幌の野山の記憶が
深く濃いからである。
八木保次・伸子さんの追悼展の準備を進めながら、自分の持つ作品だけ
ではなく、あの時一緒に出会った友人たちにも声をかけている。
保次さんの死去をいち早く教えてくれたK氏、その親友のH氏、芸術の森で
1999年に八木保次・伸子展が開かれた時の資料を記憶していたY氏。
そうした個々の故人への追悼の実感が、少しづつ形になって集まってくる。
それらがひとつの記憶として、私たちの故人への追悼展となれば、良いと思う。
大きく俯瞰するような追悼展ではなく、個々の実感が作品や資料となって集ま
れば良い。
それも八木保次・伸子さんの私たちの内なる時間に生きた証拠であると思う。
それぞれの心の交流が、それぞれが持つおふたりの作品という形で顕れる。
それらの作品たちが一堂に会する時、おふたりが生きていた時間もまた再び
我々の今に共有されるのだ。
従ってこの追悼展は、静かにひっそりと作品や資料が持ち寄られ、最終日に
完結を見るそんな展覧会となると思う。

作品庫の中からふたりの作品を久し振りに表に出す。
2点である。
並べて置くと、まるで前からそうであったようにぴたりと決まる。
伸子さんの「ふたつの花束」と保次さんの「風物」。
ともに黄色味がかった緑が印象的な作品である。
保次さんの緑は燃えて、今の時期のフキノトウのように見える。
伸子さんの花は、背後の黄色の色彩が深く燃えて清楚である。
この黄色はもう具象ではなく、描き込まれた抽象のようである。
その背景の彩が、手前の花瓶の花をさらに引き立てている。
こうして見ると、保次さんの抽象が具象に見え、伸子さんの具象が抽象に見える。
従って2点が並ぶと、そこに何の違和感もなくふっと春の匂いが漂う。
良い時に、良い季節に、ふたり、ふたつ並んでいる。
こんな風にふたり並んで見えたのは、初めてである。

この作品は、かってあった私の宮の森の自宅応接間に飾られていたものである。
その時もこの絵は勿論好きだったが、どちらかといえば調度品のように飾られて
、そっちに見る主体があったように思う。
今こうして見るのとは違う。
これから他の人たちのふたりの作品が集まって、それぞれの作品はきっとまた違う
表情を見せるに違いないのだ。

*追悼・八木保次・伸子展ー4月中旬予定。

 テンポラリースペース札幌市北区北16条西5丁目1-8斜め通り西向
 tel/fax011-737-5503

by kakiten | 2012-04-13 12:45 | Comments(0)


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