ふっと思い立って長万部の薩川益明先生に電話する。
私の高校時代の恩師である。
化学の先生で詩人。今は札幌を離れ長万部にお住いである。
一時札幌生れの先生とよく札幌中を歩き回った。
バラト街道、琴似街道、奥三角ー磐渓ルート、古石狩川筋江別ーモエレ沼
モエレ沼ー石狩河口、石狩海岸旧道等々。
先生は中島公園近くで生まれ、古き良き札幌を知っている。
その先生の記憶と私の発見・探索したルートを重ねて歩いたのだ。
その中で一度奥三角山ー磐渓ルートを歩いた時、八木保次さんのアトリエへ
先生と一緒に立ち寄った事がある。
ふたりは同じ中島公園界隈に生まれた幼馴染だった。
久し振りに会った二人はすぐに何十年も前の少年に戻り、やっちゃん、まっち
ゃんと当時の愛称で呼び合っていた。
その事を思い出して先生に八木さんの死をお知らせしたのである。
先生は奥様の体調が悪く、今はあまり外出もままならないと言う。
やっちゃんは、自分より3歳上で餓鬼大将だったという。
あの時会えて本当に楽しかったなあと、思い出すように呟いた。
ふたりで円山温泉の位置を荒井山裾の旧拓銀資料館の辺りではないか、
と楽しそうに往時を思い出して話していたのを思い出した。
しょうちゃん人形が立っていたなあ、と言う。
当時のマスコットキャラクター人形の事である。
あの時のふたりの談笑の様子は、今も写真に残っている。
私よりさらに若い小川智彦さんも一緒だった。
後に小川君と先生の詩と絵画のふたり展もこの小さな旅から生まれている。
最後に一度長万部まで先生に会いに行きますと伝えて電話を終えた。
八木さんとも晩年は一度もお会いしていなかった。
今の場所に引っ越してから、何故か遠くなっていた。
心では一度会いに行かねば、と思いながら時が過ぎてしまった。
思った時に人は会わねばならない。
先生にもそんな気がしていたのである。
*齋藤玄輔展ー3月20日(火)-4月1日(日)am11時ーpm6時。
テンポラリースペース札幌市北区北16条西5丁目1-8斜め通り西向
tel/fax011-737-5503