父が死に東京から帰省したと同時に住んだ宮の森の山奥の家。
それまで駅前通りの繁華街で生まれ育った自分には、この新しい
環境は見るものすべてが新鮮だった気がする。
緑の濃さ、空気の美味さ、朝の鳥の囀り、夜の深さ。
そして同じ頃東京から故郷の札幌に戻った八木保次・伸子さんの家も
同じ山の上の方にあったのだ。
小別沢トンネルに続く山道に沿い、琴似川の源流域に聳え立つ奥三角山
を裏山にした八木さんの家には、よく遊びに行った。
そしてふたりでこの裏山界隈を縦横に歩き回ったのだ。
道は無く、急斜面の山裾を小枝や蔦に掴まりながら攀じ登り、畳一疊程
の小さな頂きを目指した。
そしてそこから尾根伝いに盤渓や大倉山の方まで、秘密のルートを放浪し
日暮れまで森の中を歩いていた。
春には小さな谷の両側に一方から鶯の鳴き声が響き、もう一方の谷から
は郭公の鳴き声が響いていた。
その鳴き声の競演を聞き、名も知らぬ花の咲く草叢の中でお昼寝をした。
そんな森の空気を知るにつれて、街中のビル内の生活からの脱出願望が
生まれたと今思う。
後年この山裾を入口とする場所へ、生活の場の移動を実践したからである。
それは奥三角山と繋がる琴似川の中流円山北町がその場処だった。
この時初めて住居と生業の場が有機的に繋がったのを感じていた。
本当に札幌という土地と共に暮らし出した入口のように、この八木さんの家の
裏山存在が、私には在るのである。
*齋藤玄輔展ー3月20日(火)-4月1日(日)am11時ーpm6時。
テンポラリースペース札幌市北区北16条西5丁目1-8斜め通り西向
tel/fax011-737-5503