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テンポラリー通信

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2012年 03月 26日

休廊日出勤・八木保次さんの死ー風骨・3月(20)

作家から届いてから分かった事だった。
齋藤玄輔展案内DMに月曜休廊の記載が抜けていた。
すでに送られた後でDMを見て来る人もいるかと思い、月曜日も開ける
事にして出勤する。

曇り日、風寒い日。

どこか体が休みモードでぼんやりとしていた。
そこに友人のKから電話が入る。
読売新聞で読んだけど、八木保次さんが死んだよ、と言う。
もう葬儀も終ったという。
先日奥さんの伸子さんが亡くなり、来月お別れ会があると連絡があった
ばかりである。
その案内状では、保次さんは入院中と記されていた。
ひょっとしたら、伸子さんのお別れ会で、会えるかなあ、と思っていたのだ。
おしどり夫婦で展覧会もいつもふたり展をしていたから、ひとりになって
保次さんの事は心配していたのである。
休みの日に出勤してこの訃報が届くのも、何かの虫の知らせなのかも知れない。
朝久し振りに円山で工事中の空き地の向こうに奥三角山を見ていた。
そしていつも口癖になっている言葉を山に向かって呟いていた。
”マイ ラブ!”
この山裾に八木さんのアトリエがあり、かって私の家もこの山近くにあったのである。
端整な独立峰をもつこの山は、当時東京から帰郷した時の懐かしい札幌の象徴で
もあった。
元々の生家が在った駅前通りの住居から引っ越して、新築された住居と
父亡き後の新たな生活が始った場所である。
同じ頃東京から戻って来た八木保次・伸子夫妻がいて、親の代からの
お付き合いもあり、親しくさせて頂いたのだった。
八木家とは色んなご縁があったけれど、保次さんと一緒に登った奥三角山の
記憶は忘れられないあの場所の記憶である。
それまで街っ子で札幌の山を知らなかった自分に、小さくとも山の持つ魅力を
全身に沁み入るように教えてくれたのは、あの山である。
その時先導し一緒に歩いてくれたのが、八木保次さんである。
もうあの界隈に私の住居は無くなったけれど、今でも今日の朝のようにふっと
遠くから奥三角山が見えると、札幌への愛のように”マイ ラブ”と囁くのである。
保次さんと奥三角山は、掛け替えのない私の札幌ともいえる記憶である。

保次さん(保っちゃん!)、ありがとう。
もう一度あの山を、一緒に歩きたかったです。
またふたりで逆立ちして、あなたのアトリエでご来光を見たかったです。
本当にありがとうございました。

合掌。

*齋藤玄輔展ー3月20日(火)-4月1日(日)am11時ーpm7時。
 テンポラリースペース札幌市北区北16条西5丁目1-8斜め通り西向
 tel/fax011-737-5503

by kakiten | 2012-03-26 13:53 | Comments(0)


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