朝カーテンを開けると、外は雪。
白い世界が戻って来た。
昨日まで溶けて凍った路面が、白く隠れた。
地下鉄を上り北18条駅に出ると、明るい陽射しが射している。
南西方面は灰色の空、北東の空は青空が見える。
山に近い方が雪のよう。
八木伸子さんのお別れ会の案内が来る。
保次さんも入院中と書かれている。
先に入院したのは保次さんで、その後伸子さんも倒れ2月5日朝
亡くなられたという。
宮の森のご自宅に何度かお電話したが誰も出られないのは、
ふたりとも入院中だったからだった。
4月11日午後6時からロイトンホールでお別れ会がある。
残された保次さんの容体が気にかかる。
おふたりの暮らした宮の森の山上の住居。
そこからみた朝日は忘れられない。
金色の光が東の空いっぱいに溢れて、保次さんと逆立ちして
見た事があった。
すると天空の金色の光が眼下いっぱいに広がって、本当の仏様の
ご来迎図のように見えた。
あの時金色という色彩を、本当に一瞬だが見た気がする。
山の奥の東の空に開いたあの場所は、光の色彩に溢れた場所である。
あの場所から、おふたりの絵画の色彩もまた育まれたと思う。
伸子さんの具象、保次さんの抽象。
そのどちらもが色彩の<彩>に満ちた絵画だからである。
すぐ裏の奥三角山にもよく登った。
道なき道を這い登り、蔦や小枝に掴まりながらよじ登った。
春はニリンソウ、キバナノアマナ、福寿草、エゾエンゴサクが可憐な
美しい花を咲かせていた。
秋は深紅の実がそこここに生り、枯れた梢には緑のコクワの実が連な
っていた。
そんな山林をよく保次さんとふたりで放浪した。
遠くの高い山もいいけれど、こんな近くの山をふっと歩き回るのも
楽しかった。
私はそんな山歩きを、保次さんに教わったと思う。
ふたりで山中を歩き回った後、2階の保次さんのアトリエで頂いたフランス
パンと紅茶の味は忘れられない。
そんなわれわれをいつも伸子さんは下の一階のアトリエで絵を描きながら、
姉のように、見守っていてくれた気がする。
子供のいないご夫婦は時に保次さんが伸子さんの子供のようで、
やっちゃん、やっちゃんと伸子さんに叱られていた。
絵描きふたりの生活は、時に激しく闘いもあったと思うが、ふたりの生活には
いつも札幌の自然の色彩があった。
若い時の東京時代のふたりの事は良く存じ上げないが、私の知る限り
この宮の森の自然の色彩こそが、ふたりの絵画生活を支えていたと
私は信じている。
その意味では、ふたりの絵画に見る色彩は間違いもなく札幌の山の
四季が生んだ彩(いろ)であると思っている。
札幌に生まれ札幌の光の彩(いろ)を生き描き続けたふたりであると思う。
*久野志乃滞在制作展ー3月15日(木)まで。
*斎藤玄輔展ー3月20日(火)-4月1日(日)
テンポラリースペース札幌市北区北16条西5丁目1-8斜め通り西向
tel/fax011-737-5503