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テンポラリー通信

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2012年 02月 29日

風景の<首>ー如月(22)

閏年の所為で一日多い2月。
明日から3月である。
手首骨折やら水道管凍結やらなにかと労苦の多かった2月が過ぎる。
左手首はギブスも外れ、どうやら両手を使えるようになった。
左手固定の頃は、石鹸の泡を立てることも叶わず、如何に右手だけ
では用を為さないかを実感する。
瓶の蓋を廻す事も薬の錠剤を弾き出す事も苦労した。
掌と腕を繋ぐ手首。
この<首>という重要な繋ぐもの。
手首・足首・首。
それぞれの部位が<首>で繋がり、有機的に活きている。
頭と胴体、足と脛。
さらに細分化すればそれは関節という縊れで細かく連動している。
これらの部位を繋ぐものの大きな局所を、きっと<首>と顕したのでは
ないだろうか。
これは先日映像作家の石田尚志さんが出演していたEテレ日曜美術館
特集の藤巻某という天才画家の遺した絵巻の画面を見ていて思った事だ。
戦前の東京の風景を細密にかつ大胆に描いたこの絵巻物には、風景の
中の関節や首が、有機的な場面転換として繋がっているように描かれて
いる。
映像ならばこの場面転換はカメラのパーンとして転換されるのだろうが、
絵画でそのパーンが連続性を保って描かれている。
これは都市の内部の風景の見えない<首>の部分を捉えて、都市を分断
から繋いで見る視座を獲得しているからである。
札幌の<緑の運河エルムゾーン>を歩く回路もそれに似ている。
大通り公演ー植物園ー伊藤邸ー清華亭ー北大構内等は、みな部位として
は分断されているが、そこに風景の足首・手首を有機的に繋げると、それら
は連動してトータルな身体性(ランド)を風景の中に回復してくる。
小さな路は関節のように在り、大きな起伏は首のように在る。
我々の今生きている都市環境とは、部位だけで分断された手・足・胴体の
ように在って、これらが手首・足首・首で繋がった身体性を保ったランドとし
て喪われている面がある。
しかし本来風景には地相や地形が結晶する処が在り、そこに大きな風景の
<首>が、有機的な存在として潜んでいる。
藤巻某という若くして失踪した天才画家の遺した「白描絵巻」の東京風景に
は、その隠された風景の手首・足首・首が活きていて、喪われた都市の
活き活きとした身体性が<ランド>として生きていると思われるのだ。
風景の境界(さかい)を繋ぐ<首>を捉えて、この人の東京風景はある。

*久野志乃滞在制作展ー3月中旬予定。
*斎藤玄輔展ー3月20日(火)-4月1日(日)

 テンポラリースペース札幌市北区北16条西5丁目1-8斜め通り西向
 tel/fax011-737-5503

by kakiten | 2012-02-29 13:55 | Comments(0)


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