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テンポラリー通信

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2012年 01月 31日

有機的な固化ー睦月(15)

「流氷と黒曜石」という言葉を対のように思い浮かべていたら、
現実には「凍結とギブス」という言葉が浮かんだ。
同じように固まっても開くものと閉じるものの違いがある。
開かれる思念と閉塞する日常。
この両者のせめぎ合いが、人生だ。
先日写真家の藤倉翼さんが、撮影した吉増剛造展の写真データを
届けてくれる。
接写した捲れるような銅板の、波打つ表面が美しい。
一昨年夏石狩河口を一緒に歩いた経験が、どこかでこの吉増剛造
「石狩河口/座ル ふたたび」展のトニカと響き合っている。
写真の視点・切り口の角度を見ていると、そんな気がする。
河口というのは、不思議な界(さかい)の空間である。
ふたつの世界の挾間(はざま)なのだ。
そこで接する異なったふたつの世界は、固定化する事なく開いて共存
する。ギブスや水道管凍結の日常とは違う。
藤倉さんの視点は、一昨年多分何気なく撮った一枚の河口の写真から
ある転位を見せている。
それは界(さかい)を写し撮る視座と思えるものだ。
ある10代後半の若い女性を連続して撮り続けている仕事にもそれが
表れている。
高校生から女子大生へ、そして札幌から東京へ。
そんな年齢と環境の変化を同じひとりの女性を撮り続けて、その変化を
見詰める目線は、人間の精神の界(さかい)を写し取っている事でもある。
その変化の界(さかい)は、固化することはなく魅力的である。

昨日やっと最初のギブスが外された。
新たにもう少し軽い指の自由なギブスになる。
手首の骨が大分固定してきたという。
2週間後に再検査がある。
こちらの固定は手首の連携を繋ぐ固定である。
手首のグリップの柔軟さが如何に指先・手先の自由を確保しているか、
有機的な身体の相互関係性は実に精妙である。
腕と手首と指、そして右手と左手。さらには右半身・左半身。
これらはみな相互に関係し合い、分別・分断されない。
界(さかい)という挾間が開かれ、関節として連係し合っているからだ。
手首ひとつもまた、偉大なる界(さかい)の世界を保っている。
有機的な身体の固化は、ギブスの固定化とは違う開かれた固化である。
それは骨が保つ、美しい柔軟性というものだ。

*阿部守(鉄)×高臣大介(ガラス)展「野傍の泉(ヌプサムメム)」ー2月14日(火)
 ー19日(日)am11時ーpm7時。
*同上清華亭外庭展ー2月13日(月)-26日(日)am9時ーpm4時。

 テンポラリースペース札幌市北区北16条西5丁目1-8斜め通り西向
 tel/fax011-737-5503

by kakiten | 2012-01-31 14:38 | Comments(0)


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