時間なく途中で昨日のブログは終えていた。今日はその続きです。T・nakamura
さんという方からコメントを戴いた。鷲田清一さんへの中身濃い批評と受け取った。
ただ私の意図した事は鷲田清一論ではなく堀田さんとの現状認識の差異が主たる
テーマで私自身の現在感じている共感度が基本にある。
落ち込んだ後遺症かブログの文章が固くなり、エッセイか小論文のようになってき
た。小さな旗として書きたかったのは<自分の本領をしっかり守っている>あるお
店の人の話。若いハンコ屋さん三代目の酒井博史さんは先日とうとうあのレトロス
ペースで待望の手刷り印刷機を使い名刺を印刷したのだ。3時間以上かかって刷
った。活字を自分の店から持ち込み館長坂一敬さんの名刺が刷り上った。印字さ
れインクの跡も瑞々しいその出来立ての名刺はインクが乾く前に触るとすぐに滲
んだ。今のハンコはコンピューターが主で活字を使った判はほとんど無いという。
印刷も然りである。彼は自分のブログに書いている。機械が古くなっててこずった
のではないない。機械は現役だった。現役でなかったのは使う側だったと。つまり
機械は今も<自分の本領をしっかり守って>いたのだ。使う人間がその技術を古く
錆びらせていた。レトロスペースに眠っていた機械はただの骨董展示ではなく本来
機能を発揮して館長の名刺として甦った。その事が私には小さな旗、現代文明へ
の小さな抵抗のように感じ思えた。大量印刷や時間の速度という点では勿論なん
の役にも立たない。経済的にも劣るのは自明だ。しかしそこには機械と職人の汗
がコラボレーシヨンのようにあった。対等に<本領>があった。現在の流通機構
が喪失してきた物と人間の濃い時間があった。そして機械が復活した。職人は手
の記憶を復活させた。今も活字で判を作る酒井さんの厳しい毎日は少しだけ報わ
れた。レトロという過激を保つ坂さんとまちの若いハンコ屋さんが手刷りの機械を通
し出会って出来たこの小さい名刺は、私にはやはりへんぽんとしてはためくふたり
の小さな旗に見えたのだ。