今年最後の日、晴天。
光燦々と射し込んで、朝一番岡部亮・新明史子夫妻が見える。
一人娘の4歳の麦ちゃんも一緒だ。
早速梯子を登り、明るく騒ぐ女の子がいた。
彫刻家である岡部亮さん、美術家である新明史子さん。
そしてふたりは共作で、豆本も作っている。
それゆえ是非見て欲しかった。
銅板の長い文字の絵巻物。
そこには打刻の彫刻もあり、巻いて持参する絵巻物の要素もある。
そして吉増剛造のライフワークをこうして一堂に会して見る事は、
そうそう有り得ない事だからだ。
総花的な大吉増剛造展は今後もあるのかもしれないが、今回のように
凝縮した個展はここで今しかないのだ。
その事を誰よりも知っているのは、多分作家本人自身である。
俯瞰した展示ではなく、垂直に一点を掘り下げて作家のある本質的部分
に触れる。この場の主体性とともにその視座は在って、決して業績一般
ではないからである。
切り口は17年前のエポックメーキングな仕事「石狩シーツ」であり、同時に
その17年間を結ぶ今、吉増剛造自身のコアのひとつの渦だからである。
2年前の道立文学館の吉増剛造展とは、規模も展示資料のスケールも
大きな相違がある。
しかしこの北の一点の深度においては、いささかの遜色もなくむしろより
本質的な展示である。
何ゆえ道立文学館関係者も含めて、今日で終了するこの歴史的な展示
を誰も見にも来ないのか。
道立の<道>とは、何処に立っている<立>なのか。
石狩の見えない、北海道一般の<立>とは、本州目線の北一般の視座を
いうのである。
<都ぞ弥生の雲紫に、花の香漂う宴の莚(むしろ)>
明治の開拓使の時代旧帝国大学北大寮歌の時代から一歩も出ていない
<都>意識の証左である。
弥生(3月)に花の香漂うのは、本州の都である。
オホーツクも十勝も石狩も弥生は雪の中、花の香などは漂わぬ。
作家吉増剛造が血の滲むような石狩滞在4ヵ月を経て、長編詩「石狩
シーツ」を完成させた磁場としての石狩・札幌を見もしない北海道とは、
いかなる北海道であるのか。
東京目線にある吉増剛造のみがその視野にはあって、石狩から立った
吉増剛造を見ていないのだ。
従って、この銅板長巻4巻に打刻された長い年月、世界中の場所、そのどの
部分にも北海道立文学館的<北海道>は、打刻記載もされていないのである。
あれだけ長期間大規模に展示されても、作家の脳裏に刻まれるモニュメントは
何もない。
刻まれないだけではなく、関係者が誰も来ないのもその必然と思える。
とにもかくにも今日で今年も吉増剛造展も終わり。
東京始め道外から来てくれた人たち、さらには足を運べずとも遠くから
見守ってくれた友人同志たちに心から感謝する。
そしてなによりも今回も全力投球で冬のエルムゾーンを歩き、語り尽くして
頂いた吉増剛造氏に心からの友情と敬意を捧げたい。
大長巻四本、・・・さぞや、落ち着いていますことでしょう。(吉増剛造)
ライフワーク銅板長尺全4巻、本当に<落ち着いて>並んでおります。
そして、来年の龍のようにギラリと鱗光らせ立ち上がっております。
ありがとうございました。
*吉増剛造展「石狩河口/座ル ふたたび」-12月31日(土)まで。
*及川恒平ライブ「冬の鏡」-1月8日(日)午後4時~予約2500円当日3000円
テンポラリースペース札幌市北区北16条西5丁目1-8斜め通り西向
tel/fax011-737-5503