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2011年 11月 20日

消えた文字ー烈々布(5)

17年前の3冊のファイルを見ていると、当時の吉増さんとのfaxの
遣り取りが熱い。
だがしかし、そのfax紙は時間の経過と共にもう文字が消えかけている。
途中でコピーしていなければ、元の紙は白いペラペラな紙片でしかない。
今ならメールが主となるのだろうが、当時はまだまだfaxが主であった。
ここには手紙と同じように、筆跡という文字の息遣いが漂っている。
頂いたお手紙も多く保存されているが、即時性の高いfaxの遣り取りに
当時の文字による会話の呼吸が聞こえるようだ。
時が経過して、今記録としてこれらを見ていると、メールにはない空気感
が行間に濃く漂っている。
ワープロでもなく、直筆の文字の感触がそうである。
しかしそのfaxの紙面も時と共に薄れて、もう大半が消えかかっている。
こちらから送信したfax原稿はそのまま残っているが、送られて来たfaxは
幽霊のようにぼんやりと光っているだけだ。

会場に展示された草稿の一番最初の日付は、’94 6 14となっていて
最後の7枚目には’94 9 1最終稿前の文字がある。
約3ヵ月石狩に滞在し、長編「石狩シーツ」を書上げた。
その前後の半年間のfaxと手紙の遣り取りだけで、ファイル3冊の分量がある。
一編の詩の産土の資料である。
当時レジデンスという言葉もまだそんなに一般的ではなかったが、これは
間違いもなく滞在制作(レジデンス)による、作品完成だったのだ。
そしてそれから17年。
今回の「石狩河口/坐ル ふたたび」展は、決して繰り返しや懐旧のそれ
ではなく、再生のReーとなる<ふたたび>と思う。
faxの感光紙は、時と共にもう消えかけているけれど、石狩河口から発する
光の種子は、また新たな<ふたたび>の芽を生むだろう。
文字を喪った白いfax紙を見ながら、そこには見えない文字が<ふたたび>
今日の産土に芽生えてくる白紙の明日のようにも見えてくるのだ。
時と共に消える光の文字もあれば、時と共に消えぬ光の文字もある。

前座としての吉増剛造展「’94石狩河口/坐ル」も、はや一週間が過ぎる。

*吉増剛造展
 前期「石狩河口/坐ル 石狩シーツ誕生」ー11月27日(日)まで。
 後期「石狩河口/坐ル ふたたび」-12月1日(木)-31日(土)
 am11時ーpm7時:月曜定休。

 テンポラリースペース札幌市北区北16条西5丁目1-8斜め通り西向
 tel/fax011-737-5503
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by kakiten | 2011-11-20 12:41 | Comments(0)


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