人気ブログランキング |

テンポラリー通信

kakiten.exblog.jp
ブログトップ
2011年 10月 09日

春香山麓ー点と線(17)

青空が広がり暖かな土曜日。
アースワーク「ハルカヤマ藝術要塞2011」を見に行く。
前日までの雨でぬかるんだ道を辿り、作品を見て廻った。
山林の木の葉や草は少し色づき始め、途中海に開けた場所があった。
遠く対岸まで石狩湾が望め海の青が広がる。
展示場上にある廃墟となった建物の中に入った。
天井の高い暖炉のある大きな部屋が、忍び寄る時間と自然を内包して
大きな存在感を示している。
かってホテルだったという建物と建物は2棟あって、これらは今廃墟となって
自然へと還りつつある。
この人工構築物と自然との攻めぎ遭いが、期せずして一番大きなこの場の
時間と土地の存在感を示していた。
この場所が保つ近代の残像。
海を見下ろす春香山山麓の独特の地形を利用して、リゾートホテルとして
建てられたのであろうか。
アイヌの人が呼んだ、ハル(食料)が語源の春香山。
海抜ゼロからすぐに山裾が始り、海の幸山の幸・食料が豊富な場所という
意味から名付けられたといわれるこの場所に、観光産業の廃墟が埋もれて
いる。
そうした土地の歴史の保つ場の相克を最も表象するものが、このホテル
の廃墟と思える。

自然の中に美術作品を置くという時に、自然に勝る方途など有り得るのだろうか。
ホテルのような美術を目的としない構築物すら、廃墟となり自然化して風景の一部
となって在る時には、自然はそこに巧まざる美を用意している。
一草一木の山林の存在感に囲まれて、時として人間の作り物との対比は無惨な
までに惨めである。
今回展示全体を見て、この廃墟の自然を内側から取り込むように包含した作品を
見たかった気がする。
本来<アートの拠点「藝術要塞」>という起点コンセプトに無理がある。
自然そのもの中においては、その中で遊ぶ少年となるか、自然の生理に添って
廃墟の建物のように存在するか、のどちらかではないのか。
その意味では、ハルニレの大木の頭上に赤い鉄管の砦を作った作品と、
穴を掘り過去と未来を繋ぐ作品のふたつが、一番無邪気に少年的であったかと
思える。
場としては、青い石狩湾を見渡す俯瞰処とホテル等の内的構築物廃墟とが、この
の空間の最大の見せ場と思えたから、このふたつの俯瞰と内在空間に添うように、
捧げるように作品が構成されたなら、もっと集約的に散漫にならずになったのでは
ないかと思う。

帰路対岸の石狩川河口から見た夕陽は変わらず美しく、さらにその先の知津狩の
断崖上を飛ぶハングライダーの発進と飛翔の様子は見事で、楽しそうであった。
風に乗り空を飛ぶライダーの姿と夕陽の沈む海空は、刻々と変化し見飽きない。
こうして自然の流れと一体化してこそ、人の存在は生きる。
かって借景という庭の美学を生んだ日本人は、決して自然そのものと対峙して
作品を創ろうとしてはいなかったと思う。
室内空間にそっと外界の自然のエッセンスを凝縮する事はあっても、自然そのもの
にまで入り込み、自己主張する事はなかった筈である。
自然の中に入った時は、自然に添った位置の哲学を心得ていた筈だ。
従って<藝術要塞>概念ではなく、この場の自然を主役に位置付ければ、
あの廃墟という内的自然と海の見える俯瞰立地が主でなければならない。
人為の藝術を主役とする概念が、<藝術要塞・拠点>という主題を生んでいる。
haru(ハる:食料)という地名の豊かな山に謙虚な畏敬を持たずして、藝術を
主たる第一のものとした時、すでにもうもうひとつの<廃墟>化への傾斜が用意
されている。
<フクシマ>の教訓とは、化学を主役にした原発要塞の結果ではないのか。
まして藝術・文化においては、その事を今肝に銘じていかねばならぬ。

*森本めぐみ展ー10月12日(水)-30日(日)am11時ーpm7時:月曜定休。
 :滞在制作展。
 テンポラリースペース札幌市北区北16条西5丁目1-8斜め通り西向
 tel/fax011-737-5503

by kakiten | 2011-10-09 14:05 | Comments(0)


<< エルムゾーンを歩くー点と線(18)      木枯らし吹くー点と線(16) >>