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テンポラリー通信

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2011年 10月 07日

木枯らし吹くー点と線(16)

雨混じり、木枯らしの吹く日。
藻岩山麓と円山麓に熊が目撃されたと、電話が来る。
昨日の夕方の事。
私の家が近いので、帰路を心配してくれたようだ。
こんなに中央区の住宅街の近くまで、熊が出没とは余りない事である。
それだけ餌不足の山中なのだろうか。
近々百余年の都市。
そこにはすぐ傍に縄文以来の原始林の面影が残る。
森と山は繋がり、南西の奥まで山並みは広がっている。
その自然環境の豊かさは、同時に野生も保つ役割をもっている。
その象徴が、森の王者熊である。
遠くスイスでは、とっくに絶滅した森の王者。
そのかっての名残が熊の木彫りとして、明治時代に北海道に伝わった。
今スイスのベルンという都市に住む磯田玲子さんが教えてくれた。
このベルンという街のシンボルが、熊である。
しかし森は伐採され、熊はもういない。
二百万近い人口の都市の住宅街に熊が出るという事は、それだけで
この札幌の保つ自然の豊かさの証しともいえる。
この時私たちはいつもあるジレンマに立つ。
野生への恐怖と豊穣のジレンマである。
野生への恐怖は排除の論理となり、野生への畏敬は自然保護の論理となる。
豊かな森が身近にある事でその美しさ豊穣さを楽しむ一方、熊に象徴される
野生への恐怖もまたあるのだ。
この二律背反の感情は、安全と秩序を原則とする都市生活者の宿命と思える。
熊を自動車と置き換えれば、その危険性の度合いは熊の比ではない。
車の方がもっと日常的な数多い危険である。
自動車という人間が作った機械という安心感と、熊という人間外の野生への
不安感の差異は、数字の危険比率以上に不安感を押し上げるのだ。
秩序・安全の管理原則が都市を支えるとすれば、野生の自然はその管理外の
力を保っているからだ。
不安の増幅の根拠には、衛生・安全・秩序の都市に対峙するものとして、
自然・野生・熊がある。
元々人間はそうした対自然との生活を原則として、生きてきた筈である。
その生活原則が、都市インフラの急速かつ膨大な発達によって喪失し
、その結果危険の質が変質して今が在る。
目にも見えず、音もなく、匂いもない、「沈黙の春」や「夢の島」のような、
公害という危険がそれである。
鮭の遡上する川は消え、計測器に白い防御服の人だけの無住の村や地域。
突如液状化し陥没する道路。
埋め立てられたかっての岸辺が揺れて倒壊する渚現象。
これらの風景の方が、熊の出没より余程恐ろしい光景ではないのか。
畏怖する野生もなく、一見変わらぬ風景が透明に病んでいるのだ。
振り返って省みれば、熊の出没に一喜一憂する街の方が、余程人間的で
豊かな世界と思えてくる。

とはいえ、帰路に熊さんにお会いしたくはありません。
くまっちゃうわ~。熊いません?

*森本めぐみ展ー10月12日(水)-30日(日)am11時ーpm7時:月曜定休。
 :滞在制作展示。

 テンポラリースペース札幌市北区北16条西5丁目1ー8斜め通り西向
 tel/fax011-737-5503

by kakiten | 2011-10-07 15:08 | Comments(0)


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