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2011年 09月 15日

幻視の人ードットの時代(21)

2006年の最初の個展から都市構造を幻視し、その奥に潜む魔の表現を、
疾走するドローイングの絵筆で描き続けている。
藤谷康晴とは、一言で言うとそんな画家である。
<疾走するドローイング>と思わず書いたが、ある時期のライブドローイング
に集中した藤谷康晴は、正しく月に一度街角ライブで疾走していたのだ。
その後大阪・京都という初の関西地方での個展を経て、都市の奥に潜む魔
の表現に色彩が顕われ、飛竜のような天を飛ぶものが顕われてくる。
アイヌの世界のカムイのように、神的なものと魔的なものが混然と一体化し
、従来のモノクローム中心の一方の魔から神的な魔も併せてそれらが、
表現の中心に顕われてきたかに思える。
その変化の底にあるものは、札幌という近代の都市から西の千年の都へ
と、表現する場の転位にも影響されているのだろう。
札幌という都市が明治の当初西の京を真似し、次に東の京を真似た事は
よく知られた史実である。
札幌の都心部を壁の構造体としてその衣装性を剥ぎ凝視した事から出発した
藤谷康晴は、大阪・京都という日本の欧州ともいうべき古都を透視して、北の
近代都市にない歴史の闇・魔を見詰め始めている。
そこから弾き出された魔とは、近代が喪失してきた神でもある未知の魔である。
今回の東海大震災・福島原発事故で露出してきた自然の力とは、この魔を
人間社会が軽視し奢ってきた事の、自然からの回答とも思えるものである。
見えない魔・放射能が解き放たれ、人は計測航行の社会に居る。
見えない魔が都市を消し、野畑を消し、故郷すら消そうとしている。
藤谷康晴が都市の中心部に見た幻視の世界が、現実のものともなっている。
人が消え、物が消え、構造物だけが存在しているのは、もう一部の場処では
現実の風景だからである。
そうした現実が仮想現実を超える今、都市を凝視する作家の眼は新たな魔の
神の部分への畏敬ともなって、天へ昇天する舞いのような軽やかな羽根のよう
な線を生んできた。
それが今回の吹き抜けを突き抜ける大作「神の経路」と「CELL」と名付けられた
新作12枚の連作のように思える。
それは藤谷康晴の新たな都市論として、次なる着地を用意する筈である。
そしてその着地点は、3・11以降の我々の都市の構造と深く関わる処でもある。

*藤谷康晴展「覚醒庵~ドローイング伽藍~」-9月13日(火)-25日(日)
 am11時ーpm7時:月曜定休。

 テンポラリースペース札幌市北区北16条西5丁目1-8斜め通り西向
 tel/fax011-737-5503
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by kakiten | 2011-09-15 16:30 | Comments(0)


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