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テンポラリー通信

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2011年 08月 20日

どしゃ降りードットの時代(2)

朝、珈琲豆を買いに少し寄り道。
すると来たね、どっと雨。
びしょ濡れになってテンポラリーへ自転車で滑り込む。
肝心の珈琲豆は昼からの開店で、買えず仕舞い。

親族一家が帰り、どっと疲れが出た。
東京と札幌の温度差、湿度差に体調を崩し風邪気味で、後半は食事も
ままならず、墓参とお坊さんのお経が来札翌朝から続いたので、疲れも
溜まったのだろう。
久し振りになんとかちゃんとか、ちゃん抜きの呼び捨てで名前を呼んだ。
こういう時に古いアルバム、一枚の写真が心を繋ぐ。
死者とも、過去とも。

写真とは記憶の記録であり、時に民芸のように懐かしく人肌を保つ。
いつも使っていた茶碗、お箸、お皿、人形、洋服と同じように。
そうした個人の記憶の記録の側面と、より普遍的な時代の記憶と記録。
連れて来た小さな男の子が、グリコのおまけで一時集めていた昭和の
フィギュア、昔の洗濯機、怪獣、プロレス等を目ざとく見つけ遊び出した。
本人は仮面ライダー何とかに夢中で、いろんなライダーを連呼していた。
電気装置の声を出す機械を操作し、煩い事この上なし。
仮面ライダーにゴレンジャーが全部セットされているのだ。

手でローラーを回し洗濯物を絞る昔の洗濯機のミニフィギュアーを
見ていて、ふっとほかの事も思い出した。
TVのチャンネルも手で回転し、電球もその上のスイッッチを手で捻る。
今はボタンを押す、タッチするドットの指先操作である。
ある時代まで、指先、小手先で物事は進まなかった。
掌全体を使って動いたのである。
昨年芸術の森美術館で催された「さっぽろ・昭和30年代」展で
流されていたこの時代の映像の中には、もっとそうした数々の生活が
記録されていた。
買い物する主婦、魚屋のおじさん、路端で遊ぶ子供。
そこには全身を使って動き、行為する姿があった。
売るのも、買うのも全身行為。
掌は勿論のこと、全身を動かす行為が日常である。
子供の玩具が如何に機械化され、ボタン化されていても、子供は子供である。
これらの機械を操り、最後は興奮して仮面ライダーになりきり、こちらに蹴りを
入れる。アッチャ~とか、奇声を発して飛び掛ってくる。
最初は相手をしていたが、最後は疲れて本気になって泣かせてしまった。
結局子供は全身を使う。それが自然なのだ。
ドットの機械もその全身行為の道具に過ぎない。
疲れたけれど、そう気付いて少し救われた気がした。

*竹本英樹写真展「意識の素粒子」-8月18日(木)-9月8日(木)
 am11時ーpm7時:月曜定休。
*及川恒平コンサート「まだあたたかい悲しみー其の四」
 8月21日(日)午後6時~予約2500円当日3000円。

 テンポラリースペース札幌市北区北16条西5丁目1-8斜め通り西向
 tel/fax-11-737-5503

by kakiten | 2011-08-20 12:15 | Comments(0)


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