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テンポラリー通信

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2011年 07月 29日

見えない現場ー弓張月(10)

五体五感が直接触れる環境のリアルさ。
森の中、山の中、海の傍にいると、普段眠っているこれらの感覚が
目覚めてくる。
身体と外界との相違が時に新鮮で、時に驚きでもあり、時に畏敬の念をも
与える。
私がそんな自然との触れ合いを最初に経験したのは、夏の南暑寒別岳山行
だった記憶がある。
広い湿原と植物たち、空と水と一体になった天空の別世界。
そして自然の大きさに畏怖したのは、冬山での真っ白で真っ青な天地にひとり
となった時だった。
自分の大きさを計測する物差しがすべて消えて、目の前の自分の腕・足だけ
しかなかったからだ。
遠近感も狂い、遠い筈の大きな山が近くなり、等身大の基準が消失した。
尾根に私を探す友の人影が見えた時、急に世界は身体の秩序を回復した。
この時人間の大きさを基準にした環境に慣れきっていた自分に気付いたのだ。
大きな困難に直面した時信ずるに足るのは、この五体五感の保つリアルから
発した現場の人間の行為である。その行為には、心打たれる事が多い。
大津波による泥濘に塗れた被災地の写真を洗浄するイチゴ農家の人の話。
塩害の大地に生き残った一本の松を守ろうとする人の話。
あるいは中国の高速鉄道事故で上からの終結の指示に抗い、捜索を続けて
2歳の女の子を発見した現場の判断。
これらはみなそれぞれの現場の人たちの五体五感が生んだ、意思的行為
と思う。
第一線の現場の感覚、リアルさを喪失した時、人間は時として観念的怪物に
なり得る。
五体五感を他の増幅機能に置き換えて代行する時、何かがずれてくる。
そのズレがさらなる拡幅増大する構造を、人は時としてあたかも文明の進歩、
権力構造のように盲信するのではないだろうか。
<より大きく、より早く、より豊かに>の社会構造が、等身大のリアルさを喪失
させ、第一線の現場感覚を麻痺させていく。
そうした社会構造の逆に位置する話が、先にあげたような困難な環境の中で
の極めて人間的行為の逸話であると思える。

福島県の川村龍俊さんから届いた第三信の中にそんな現場の五体五感すら
喪失するような現状が語られていた。
大震災当初の現実の作業の中で感じていたリアルさが何とか落ち着いてきた今
新たに放射線との戦いがあり、

 五感がすべて使えないという現実にこの身体がまるで潜水艦や宇宙船の様に
 計器航行をしているような妙な感覚

と記してある。
目に見える風景は昨年と少しも変わらず、しかしその風景は<絵に描いた餅>
で、正に食べられない、どころか食べてはいけない餅である。
ここには放射能汚染という、究極の現場喪失・五体五感の喪失がある。
人類の進歩と発展と信じられてきた、五体五感の部分的増幅装置・文明の
インフラが、電気的機械の増幅でありそれを支える社会構造であるものが、
ついには等身大の五体五感をも超え、計器航行へと現場が透明化し空洞化
してきている現実がある。
<これは決して第六感などでは無い。>
と、五感の通じない現実を川村さんは書く。
我々は多くの困難に立ち向かう現場の人の等身大の第一線のリアリテイを
まるで宝石のように美しく、心打たれて見聞してきたが、その立ち向かう現場
から等身大のリアリテイが消去される現在を迎えている。
そういえば、以前見たNHKスペシアル「飯館村」の最後のシーンは、計測器を
持った白い防御服の人が、無人の緑濃い風景の中で放射能を計測している
シーンだった。
<五感がすべて使えないという現実>とは、現場という位相からの五感の
喪失という事である。
そしてその後には身体という五体の喪失が来る。
山や海や野から五体五感の解放の喜びが喪われたら、人間はもう人間
ではない。
学校のグランドで土に手を付けずにスタートダッシュを練習する学童の姿
が放映されているのを見た時、それはもう現実の生活の一部だと知る。

*「海に沿って」展ー7月26日(火)-8月14日(日)am11時ーpm7時
 月曜定休。
*及川恒平フォークライブ「まだあたたかい悲しみー其のⅣ」
 8月21日(日)午後5時半~予約2500円当日3000円。

 テンポラリースペース札幌市北区北16条西5丁目1-8斜め通り西向
 tel/fax011-737-5503


 

by kakiten | 2011-07-29 15:46 | Comments(0)


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