中国の高速鉄道衝突事故で、事故撤去後見つかった2歳の子供の事が
報じられていた。現場の強い意志で当局の事故終了宣言後も続けられた
捜索で見つかったという。
両親は亡くなったが、幼い子供はその事実を知らず、看護士の人を親と
思っているそうだ。
もうひとつは日本で今回の大震災・大津波により全滅した海岸の松林原
に一本だけ奇跡的に残った松の樹を懸命に塩害から守っている人たち
の報道があった。
たまたま保存されていた松の実も別の場所で栽培し苗木にして育てている
という。いつの日か、美しい松原の再生を願う話である。
残された一本の松の樹。残された2歳の子供。
どちらも大きな力の犠牲者である。
一方は高速鉄道という機械的増幅に、国家という権力構造が絡んだ人為的
巨大事故。
一方は大津波という人間の力を超えた巨大災害。
また同時期に起きた北欧の無差別テロは、国粋主義的動機に基づく
銃器による大量殺人である。
人間は時として、大津波や大地震のような巨大観念のモンスターになる。
銃器や国家権力構造は、一個人をまるで大津波のように平気で飲み込む。
巨大国家の面子の為には、事故処理を人命救助を二の次にして早期収拾を
計る。
純粋国家主義の観念の為には、虫けらのように手当たり次第に人を殺す。
この傲慢な暴力的行為は、まるで人間が台風や地震・津波になったかのよう
にある。
この人間の尺度を超える超観念とでもいうべき、モンスター的暴力に対し、
生き残った一本の松の木のように、個の命の側からこの災厄的暴力と闘う
思想が真に生まれるのだろうか。
大きな力を蓄え、有し、その力を目的化し暴走する国家的権力構造は
産業経済構造にもシンクロして、中国の高速鉄道事業はあると思える。
北欧の個人による無差別テロも同じ国家意識構造による力の行使であると思う。
一本の松の命の連鎖による類としての広がり、その喪われた松原を再生する
試み・闘いの思想は、その根底において最もラデイカルに対国家・産業経済の
巨大化思想と対峙するものと思う。
残された一本の松、残された小さな命。
そこを基底として、これら人間の尺度を凌駕する巨大観念化モンスターを
原子力も同様に制御しなければならない。
大きな力と小さな力の対峙は、人間が手にした大きな増幅装置力と小さい
けれど人間尺度に基づく思想の力の対峙でもある。
文化・芸術の真の存在は、この対峙の切迫の一点にこそ在る。
*「海に沿って」展ー7月26日(火)-8月14日(日)am11時-pm7時
月曜定休。:上野憲男「along out side of the sea」戸谷成雄「雷神」
藤谷康晴「常温で狂乱・別篇」佐々木徹「ゴム布・ドローイング」佐佐木方斎
「シーリングボード」藤倉翼「石狩 河口」アキタヒデキ「石狩新港・座礁船」
+アンモナイト化石。
*及川恒平フォークライブ「まだあたたかい悲しみー其のⅣ」
8月21日(日)午後5時半~予約2500円当日3000円。
テンポラリースペース札幌市北区北16条西5丁目1-8斜め通り西向
tel/fax011-737-5503