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テンポラリー通信

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2011年 07月 24日

飯館村ー弓張月(6)

NHKのドキュメント「飯館村」を昨日見た。
美しい日本の故里そのもののような山村風景の中で、野菜畑が、水田が、
牛たちが次第に荒廃してゆく。
冬の白い風景から、山桜咲く春、緑滴る夏へと季節は移っていく。
だがそこに生きる人の表情は、時間の推移とともに、皺を深く刻み苦悩の色
を濃くさせていく。
背景の山村の美しい風景は一貫して変わらない。
放射能計測計の数字だけがその見えない悲劇の所在を伝える。
家族が離散し、村から次第に人の姿が消える。
自然に寄り添うように生きてきた人たちの川との別れ、里山との別れ、
祭りとの別れ、畑や牛との別れが、それぞれの固有の生活との別れとなって、
最後は無人の村の風景で終る。
津波や地震のように、被災が目に見えるわけではない。
何も変わらぬ自然の風景の中で、被災が進行してゆく。
ヒロシマ・ナガサキの被爆よりも、被爆が見えない分だけその非日常が
日常的である。
原子力発電という電気の日常性が、爆弾という戦争兵器核利用と電気という
生活核燃料の差異として、その被害風景を変えている。
しかし<核>が<核>である事に変わりはない。
人類史上初めて2度の核被害を受け、さらに今国家間の戦争というハードで
はなく、電気という文明のソフトで核被害を受けている。
ノーモアヒロシマ・ナガサキという非日常性から、飯館村に象徴される日常の
顔をした核被害。
核という巨大な魔力を通して、人はその欲望の悪無限的な増幅力を
「人間尺度」の観点から見直す根本的な次元に今いる、としか思われないのだ。
畑を耕し、米を植え、牛を飼い、祭りをし、子を育て、魚をとり、笑い、眠る。
そんな極めて人間的尺度を保っていた人々の村の名前が、飯の館の村という
のも、なんとも哀しいアイロニーではないか。

*「海に沿って」アーカイブスス展ー7月26日(火)-8月14日(日)
*及川恒平フォークライブ「まだあたたかい悲しみー其のⅣ」
 8月21日(日)午後5時半~予約2500円当日3000円。
*西田卓司展延期。
*藤谷康晴展ー9月13日(火)-25日(日)

 テンポラリースペース札幌市北区北16条西5丁目1-8斜め通り西向
 tel/fax011-737-5503

by kakiten | 2011-07-24 14:35 | Comments(0)


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