なでしこジャパンが世界一になった。
PK戦前の笑顔が良かった。
これまで一度も勝った事の無いアメリカ戦。
その国との決勝戦のさらなる最終PK戦。
本当にぎりぎりの際(きわ)の戦い。
そんなぎりぎりの時に出た笑顔は、澄んでいた。
サッカーはスポーツだが、これもある意味で第一次産業的である。
勝負という自然の運命と向き合う。
今回の大震災でみる第一次産業の人たちの凛々しさに似ている。
荒々しい台風の中心に静謐な台風の目があるように、荒れ狂う炎にも中心に
も、白熱した火芯がある。
多分濁流にもその中心には、澄んだ水深がある。
先日届いた福島の川村龍俊さんの文章の中にも、そんな澄んだ言葉が
きらりと光っていた。
川村さんは第一次産業に従事している方ではないのだが、この大災厄
と正面から向き合っている時、自然と第一次産業の人やスポーツの世界
の人たちと同じように、心の芯が澄んでいる。
新しく何かを創ることは、まだやりたくないし、泣くに泣けない。
泣いても何も変わらないし、始らない。
・・・・助けて欲しいけど、ほっといても欲しい。
過剰な情報の中では、基準を見つけられないでいます。
自分のそれまでの歴史以外には。
(平成23年5月6日 福島県須賀川市にて)
<自分のそれまでの歴史>を基準にする時とは、素裸の自分と目の前の現実
が何も介せず向き合う時である。
この瞬間とは、スポーツの勝負の瞬間に似ている。
あるいは第一次産業の人たちが、自然の中で生活する現実との向き合い方に
も通じていると思えるのだ。
この個に貫流し透徹する軸芯こそが、澄んだ眼を感じさせる基底と思える。
真にラデイカルな精神の在り様が、大きな困難の前でこそ光を発している。
この光の発する処は人間が深い精神的な生き物である事の証であり、同時に
その光の発する精神こそが、本来芸術・文化の根源的フィールド・源泉でも
あると思う。
ファイン・アート(芸術)が<ファイン>足る所以である。
昨今このファインを喪失したアートが蔓延しているのは、<自分のそれまで
の歴史>以外の他の基準に依存している現状が多いからではないのか。
なでしこという秋の七草に数えられる野草は、北海道の植物図鑑には載って
いない。きっと本州の野草なのだろう。
その所為か北海道の女性たちは、なでしこと呼ばれず<楽しい現代美術
入門ー織姫たちのスイーツ・アート>と、呼ばれているらしい。
夏の日のひととき、織姫たちが心を込めた、眼にもおいしいアートの数々、
どうぞ心ゆくまでお召しあがり下さい。
(織姫たちのスイーツ・アート展案内文から)
この織姫13人に比し、なでしこ11人の方が余程ラデイカルで、ファイン
ではないのか。
<自分のそれまでの歴史>ともっと向き合い、個として透徹して欲しい。
スイーツや姫などと、自分以外の緩い<基準>に甘える事無くで、ある。
*西田卓司展ー次回予定
*及川恒平フォークライブ「まだあたたかい悲しみー其のⅣ」
8月21日(日)午後5時半~予約2500円当日3000円。
テンポラリースペース札幌市北区北16条西5丁目1-8斜め通り西向
tel/fax011-737-5503