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テンポラリー通信

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2011年 07月 12日

「難思光」と「難路行」ー夏日幻想(24)

10日が最終日の杉山留美子展を見に行かねばと思っていた。
ちょうど来たM佐藤さんの車に便乗して東区のギヤラリーまで行く。
会場に入ってすぐ感じた事は、作品の柔らかさであった。
日の出前の空の淡いのように、感じられた。
光を色彩に、包み込むような光彩。
変わったなあ、と思った。
昔迷宮を主題とした暗鬱な色彩構造は影を潜め、淡い界(さかい)が
優しくしかし凛とした世界を創っている。
タイトルは「here・now あるいは難思光」。
3月11日以降の深い悲しみ、思いがこのタイトルにもよく顕われている。
この色彩の柔らかさ、優しさは、そうした深い眼差しから発するものだ。
私は「難思光」というタイトルの響きから、ある詩集のタイトルを思い出して
いた。それは鮎川信夫の最後の詩集のタイトルである。
「難路行」。
その中の一章。

 人が住んでいるかぎり
 家が倒れることはない
 人間のあぶらが
 柱に梁に天井に床に耐性を与え
 苦しみのベッドに血をにじませる
 人くさい息が充満しているうちは
 家の崩壊はないものと念じてきたのに
 うなだれた囚人の目尻には
 こらえきれない一雫が光っている

             (「廃屋」)

この<こらえきれない一雫>の<光>のように、杉山留美子の淡いの
光彩がある。
吉本隆明は、解説でこの詩集は<赦し>の詩集だと記している。
私はその<赦し>のようなものを杉山さんの絵画にも感じていた。
勿論鮎川信夫と杉山留美子は生きた時代に相違がある。
しかし作品としてある困難を作家が深く直視した時、その難<思・路>の向こうに
<光・行>の姿で、何かが<赦し>のような優しさの内に顕われている。
詩人が<こらえきれない一雫>と言葉で顕した<光>を、画家は光彩の色彩で
顕している。
そしてその前に先立つ<うなだれた囚人の目尻>とは、正に3・11以後の
杉山留美子の立ち位置・視座を象嵌してもいると思えるのである。
色彩は仄かな赤で、赤という文字の語源太陽の保つ薄明のように見える。
その光の前で闇は微かに開き、すべてを淡い光の内に受容している。
<赦し>いう字にある赤も、言葉を色彩に変えてあるようである。

*西田卓司展ー7月末予定
*及川恒平ライブ「まだあたたかい悲しみー其のⅣ」-8月21日(日)
 午後5時半~予約2500円当日3000円。
*藤谷康晴展ー8月末日~

 テンポラリースペース札幌市北区北16条西5丁目1-8斜め通り西向
 tel/fax011-737-5503

by kakiten | 2011-07-12 12:39 | Comments(0)


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