早速ベーマー会とドイツからふたつの原稿の反応がある。
そして気付いた。
なんと、遠く離れているはずのふたつの宛先が非常に近いという事だ。
明治5年(1872年)アメリカから日本に来たお雇い外国人ルイス・ベーマー
は、明治7年5月に北海道へ入っている。
そして同年7月札幌に入り、リンゴの苗木を配布し、8月に沙流郡で野生の
ホップを発見している。
そうした年譜を見ていてベーマーの誕生を見ていたら、
なんとドイツ生まれではないか。
1843年5月30日ドイツ北部ハンブルグ近郷、リューネブルクの誕生とある。
私がドイツに送った原稿は、華道家の舞踏パフォーマンスとその記録写真展の
為のテキストである。
その画廊の場所は、ハンブルグにある。
ベーマー会の文章は、ホーレス・ケプロンとともに来日したルイス・ベーマーの
功績を研究しているベーマー会誌に書いた文章である。
これらは集中力不足で、〆切りギリギリに何とか書いて送信したのだが、昨日
ほぼ同時に反応があったのだ。
ベーマー会の方は書き込み不足で、さらなる推敲を要しベーマー会の上野氏に
今一度の時間を頂いた。
そしてそのすぐ後にハンブルグから電話があり、送った原稿の感想を聞いたのだ。
ベーマーは24歳で、ドイツからアメリカへ渡り帰化している。
そして29歳で来日し31歳に北海道へ来ている。
この年齢は、私が「風・夢の系譜試論」としてベーマー会に書いた文に引用した
美術評論家なかがわ・つかさが東京から札幌に移住した年齢24歳と重なる。
約90年の歳月を隔てて、ふたりの若者はある日決定的な移住を決断し、その後
北海道・札幌を舞台に活動する。
私の拙い札幌からの原稿が、今ベーマーの故郷近くを往復している偶然に、
ふと不思議な因縁めいたものを感じていた。
しかも今はベーマーの生まれた5月である。
ドイツへ送った「花心伝心」。ベーマー会に書いた「風・夢の系譜試論」。
これらはふたつの国を往還し、この北の国の<the republic of dreams>
を往還しているのかも知れない。
そんな気がした。
集中力を高め、ベーマーの生誕日5月30日まで、推敲は続く。
*鉄・インスタレーシヨン 阿部守展ー5月20日(金)-6月5日(日)
am11時ーpm7時:月曜定休。
テンポラリースペース札幌市北区北16条西5丁目1-8斜め通り西向
tel/fax011-737-5503