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テンポラリー通信

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2011年 04月 26日

掌の宇宙ー風の土(20)

己の強さに傲慢になった孫悟空が、仏様に対抗してその力を誇示し地の
果てまで飛ぶが。実は仏の掌(てのひら)の中だったと悟り仏に恭順に
なるという、西遊記の始まりの部分。
この話を人間に置き換えて最近想起していた。
仏とは地球とも思え、その地球の掌(てのひら)の中と自覚しない人間とは、
外道に陥る事と思えるのだ。
E・F・シューマッハは経済学の立場から、財を対象とする経済学が基本的
に市場原理からすべてを売り物として同一に扱う事に異議を唱えている。
それは5ポンドの石油と5ポンドの小麦、さらに5ポンドの靴と5ポンドのホテル
代がすべて同じである事が異常という論理である。
石油は再生不可能な財であり、小麦は再生可能な財とする。
また靴は工業製品であり、ホテル代はサービスであり、工業製品とサービス
の間にもはっきりとした基本的区別がある。
石油や小麦は大地から獲得するものでこれを第一次財とし、工業製品や
サービスは加工者の第二次財としてこれらを本質的に区別している。
その本質的区別を抜きにすべてに値段をつけみな同じものに見せかける
事の愚を説いているのだ。
特にここで注目すべきは、第一次財としてある大地つまりは地球の恵みを
再生不能財として、「許容限度」のある財としている点である。

 だが、われわれを取り巻く生きた自然という資本を無駄遣いすると、危険に
 瀕するのは生命そのものである。

  (「スモール イズ ビューテイフル」第一章「生産の問題」)

これが、私たちが感受しなければならない地球という仏の掌(てのひら)である。
この掌を超えてしまう傲慢を持つ時、多分我々は孫悟空の傲慢・外道を
持つ事になる。
その傲慢とは貨幣価値でこれらすべてを見てしまう傲慢である。
第二次財と峻別される加工財は、この第一次財を抜きには成り立たない。

 人間が第二次財を造る能力をいかにあげても、人間は本当の生産者ではなく
 、加工者にすぎないし、また加工には第一次財が必要なのであるから、まず
 もって大地から第一次財を獲得する能力を増やしてかからなければならない。
                   (同上第三章「経済学の役割」)

石油の加工財であるもの、小麦の加工財であるもの、そこに再生不能・可能
とされる地球・自然・大地の許容限度を超えて加工財に繰り込む今現在の
我々の世界現実があると思える。
さらに原子力に至ってはその廃棄物の存在が、これらすべての財を根本から
無にしていく危険性として捉えられている。

 いかに経済がそれで発展するからといって、「安全性」を確保する方法も
 わからず、何千年、何万年の間、ありとあらゆる生物に測り知れぬ危険
 をもたらすような、毒性の強い物質を大量にためこんでよいというもの
 ではない。・・・文明がそのような罪の上に成り立つと考えるのは、倫理的
 にも精神的にも、また形而上学的にいっても、化物じみている。

            (同上<資源>第四章「原子力ー救いか呪いか」)

ここにとうとう化物が出現してきている。
それは火焔大王だったか、なんの化物だったか。
人間は三蔵法師を守る側なのか、はたまた外道の化物なのか。
その岐路に私たちという孫悟空は、今立っているのかも知れない。
地球という名の仏の掌(たなごころ)の中で。

*「記憶と現在ーそのⅢ」展ー5月1日(日)まで。
 am11時ーpm7時。
*今村しずか・有山睦ライブー5月5日夕刻予定。
*及川恒平フォークライブ「まだあたたかい悲しみー其のⅢ」
 5月8日(日)午後4時~予約2500円当日3000円。

 テンポラリースペース札幌市北区北16条西5丁目1-8斜め通り西向
 tel/fax011-737-5503

by kakiten | 2011-04-26 12:36 | Comments(0)


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