百四歳で亡くなられた舞踏家大野一雄先生の最晩年、ベッドに寝たまま掌だけ
で踊っている先生の姿を何かで見た記憶がある。
もともと先生の手は表情豊かな大きな手だった。
車椅子の生活になった時も手と上半身だけで踊っていた。
さらに病状が進み寝たきりになって、それからも病床から掌が踊っていた。
手こそ最も人間が人間たる所以のものである。
四つ足から二本足歩行になり、地面から解放された両手が何かを作り工夫する。
その事実が人間を人間たらしめたのだ。
現代文明はその人間から(手間を省く)為に、手を消すように発展して
今がある。
その文明の基幹エネルギーの元が、石油と電気である。
そしてこのふたつの資源は、再生不能財である自然資源を主としている。
電気発電を今石炭火力や原子力とし、石油も入れれば大半のエネルギー源
はこの再生不能財によるものなのだ。
そして石油も原子力も人は直接手で触れることが出来ないものである。
多分石炭の時代の近代まで、この自然財に直接触れる事が可能だった。
採炭も最後は人の手による。
しかし石油の原油採掘は触れる事では出来ない。
アイヌの人は、石油の事をウエン:悪い水と言った程だ。
掌から離れる遠い場所に今人は来つつある。
そして人が掌(たなごころ)から遠くなればなるほど、人間は人間でない化け物に
近くなる。
原発事故のレベルがとうとうチェルノブイリ並のレベル7に達したと報道がある。
放射能の半減期は約六千年という。
手に触れられず、その廃棄処分もままならぬ恐ろしいこのエネルギーの源の
正体を今白日の下に地震と津波が晒したのだ。
人は掌(てのひら)という花を喪失して、花という神から罰を受けて花と散るのか。
PANANUFA:パナヌファ:花の子:神の子は沖縄の言葉で人間を意味するという。
掌(たなごころ)の世界を喪う事は、人間が人間である事を止める時かも知れない。
*「記憶と現在ーそのⅢ」-4月12日(火)-5月1日(日)
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