ふと思い出して鮎川信夫の「橋上の人」を読み返した。
1947年戦後の廃墟の中で書かれた詩である。
橋上の人よ、
あなたの内にも、
あなたの外にも夜がきた。
生と死の影が重なり、
生ける死者たちが空中を歩きまわる夜がきた。
あなたの内にも、
あなたの外にも灯がともる。
(Ⅷ)
「ポケットのマッチひとつにだって
ちぎれたボタンの穴にだって
いつも個人的なわけがあるのだ」
(Ⅳ)
たったひとつの死にも
多くの時と多くの場所と
さらに多くのものがかかっている
(「父の死」)
久し振りに個人的な場所を歩いた後だけに、これらの詩行が心に沁みる。
灯の量も人の量も物の量も建物の大きさも、すべてが私の幼少期とは
比較にならない程豊かな街である。
巨大な電力、石油燃料が集中しているこの場所では、昼人口と夜人口に
大きな差異がある。
いわゆるドーナツ化現象である。
この街角は人も物と同じように量的に密集するが、個人の顔は消えている。
連日のTV画面に見られる被災地は、このインフラが破壊され電力・石油力
が喪失して街角は消滅した光景である。だがそこには人の顔が見えている。
ここでは<たったひとつの>ものに<多くのものがかかっている>光景がある。
都市という巨大インフラカプセルが破断した時、個が顕われる。
逆に衛生・安全な巨大カプセル内では個が見えない。
戦後破壊と廃墟の中で書かれた鮎川信夫の詩が心に沁みるのは、
そうした経験を今どこか追体験しつつあるからではないか。
ひとつの優れた芸術作品は、いつもある個人的体験を根として生まれる。
だからその<個人的なわけ>を軽んじてはならない。
あの見えない廃墟の準備をしていたパルコ別館ビル内で、原子炉の中の
放射線のように蠢(うごめ)いていた作品たちには、多分個々の作家の
<個人的なわけ>の熱量がある。
その見えない灯たちが、あの場所の不毛を救っている。
たったひとつの死にも
多くの時と多くの場所と
さらに多くのものがかかっている
今となれば中途半端な5階建ての地下1階だけのあの小さなビルにさえ、
<多くの時と多くの場所とさらに多くのものがかかっている>。
このビルの北側には、かって少年たちの遊び場だった仲通りがある。
今はシャワー通りとかいう奇妙奇天烈な名前が冠されている。
路地裏が消え裏通りが物流の搬入口と化して、子供も人も消えたのだ。
時代は変わり街も変わる。
その事自体を回顧で否定する気は毛頭ない。
ただどんな場所でも<個人的なわけ>がある。
表現を志す人には、その<個人的なわけ>が自らの表現の根にも必ず在る事を
思うのだ。
そしてその個の根をパルコパックカプセル内で拡散し、瓦解させはならぬ。
*テンポラリースペースアーカイブス「記憶と現在」展ー3月25日(金)まで。
am11時ーpm7時
*及川恒平フォークライブ「まだあたたかい悲しみその2」-3月27日(日)
午後4時~予約2500円・当日3000円。
テンポラリースペース札幌市北区北16条西5丁目1-8斜め通り西向
tel/fax011-737-5503