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テンポラリー通信

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2011年 03月 22日

風と土のRepublicーland・fall(23)

福島県の酪農家の方が廃業を決めた様子がTV画面に映されていた。
原子力発電所の事故による影響である。
折角息子さんも仕事を継ぎ牛舎も増設した矢先の出来事である。
飼っている牛も屠殺するしかないと悲痛な表情だった。
放射線を風が運び、土に触れ草に染入る。
公的には人体に直ちに悪影響を及ぼすものではない、と言われても
出荷は制限されている。風評もある。
もう牛乳は投棄するしかない。先行きも見えない。
まだ事故の根本的処理は終らず、新たに黒煙が出たり、放水も続いている。
石油燃料の不足は続き、電気不足も続く。
この原子力発電所の事故によって、自然災害に加わる人為災害の様相を
紙一重の安全カプセル内にいる他の地域にも、正に他人事ではない状況を
もたらしつつある。
思えばつい最近まであった九州の鶏や牛のウイールス災害もまた、
人為的大規模装置の弊害がその被害を増幅させていた。
大量消費の利便性を保証する大規模装置・大規模飼育構造が、負の方向に働く。
原発も電力の大量消費の装置であり、それが負の方向に働いて今の事故状況
がある。
大量生産・大量消費の産業経済機構の装置そのものが、個の生活と対峙して
人為的大津波のように牙を剥いている。
そしてこの余剰なるものに慣れきった生活原理そのものが今問われているのだ。
人間尺度が量的尺度に取って代わって、マスを主体とするパック・カプセル万能
思想原理が社会構造の基底にある。
大量収納装置としての大規模地下通路・地下電車・タワービル群もまた
そうした構造的様態である。
衣食住すべてにそうした構造原理に貫かれて現代の社会生活がある。
その根幹が今問われている。
そして一方で被災地の現場からくるニュースは、勇気ある小さな個人の
光景である。
少年が80歳の祖母を守り救助された話。
暖かい炊き出しのお握りひとつに心から喜ぶ笑顔。
人と会うことがこんなにも嬉しいとは、と語る人。
マスとは正反対のミクロの個の姿が主役となっている。
この事実こそが本来あるべき無名にして共同なる人間尺度なのだ。
そこを基底としてもう一度社会機構の根底を問う視座を抜きに
我々の明日は、あの酪農家の方の悲嘆と同じように何も見えない。
量的多寡を基軸にする産業経済軸と対極にある個を主体とする文化軸の
深化する視座こそが、今真に<公共>をReーpublicする事を問われている。
従ってビルパック・地下通路パック・美術(館)パック等のカプセル装置に依拠
し、パブリックアートを標榜する安直なアート運動こそReーpublicされ、
本質的に問い返さなければならない対象である。
真の意味の風土、その風と土を我々は取り戻さなければならない。

*テンポラリースペースアーカイブス「記憶と現在」展ー3月15日(火)-25日
 (金)am11時ーpm7時:月曜定休。
*及川恒平フォークライブ「まだあたたかい悲しみその2」-3月27日(日)
 午後4時~予約2500円・当日3000円。

 テンポラリースペース札幌市北区北16条西5丁目1-8斜め通り西向
 tel/fax011-737-5503

by kakiten | 2011-03-22 14:03 | Comments(0)


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