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テンポラリー通信

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2011年 03月 17日

小さな火・大きな火ーland・fall(20)

昨夜スーパーで買い物をしていると、声が掛かった。
美術家のSくんだった。
彼は昨年テンポラリースペースで個展をしている。
出身地が福島県だった事を思い出して先日電話をしたのだ。
しばらく立ち話で被災地の実家の様子を聞いた。
電話の時よりも原発の様子が深刻で、心配している様子が見て取れる。
祖父の家は海岸沿いで、津波に流されたという。
ただみんな無事で、その点では安心したようだが、今進行中の原発の様子
が気に懸かると不安そうだった。
そして来週あらためてゆっくり伺います、と言うSと別れた。
今朝のTVでは自衛隊のヘリコプターが原発上空から散水をしている様子が
実況されていた。
この巨大な熱エネルギーの火の装置と被災地の被害者が待つ
寒さをしのぐ為の小さな火。
この火の保つ大きな落差に等身大と非等身大のふたつの最前線の
落差を感じた。
辛うじて支給された毛布に包まり、身を寄せ合い暖気を確保し健気にも
時に明るい表情をみせる第一線の現場。
活劇さながらの原発の大掛かりな水と火の戦いの現場。
小さな火を求める現場と大きな火を消す為の現場。
この同時進行のふたつの火の在り様に現代社会の構造的矛盾が見える
気がする。
この小さな人間的火の為に大きな火は本来分配装置としてあった事である。
小さな火は個々の灯かりとして暖房として生活の基底を支える。
生活基盤の最低部分が露出した被災地では、その灯かり・温もりが本当に
人間的な火として顕われている。
一方の原発消火現場では、この個の灯かり、温もりの火の姿が見えない。
原発の大きな火の現場には個の姿が消えて、別次元の火となった姿が
垣間見えるのだ。
本来政治も経済も産業も文化も個から発し個へ還元される本質を有する。
その個から類へという普遍性を人はいつの間にか量数の多寡という位相へ
と偏向して、等身大の火の位相を置き忘れて今があるのではないか。
量数を基本とするインフラパック・カプセル化の産業構造都市が綻び、
そこに見事に顕われたのは、市井の無名な勇気ある凛々しい被災者の
個々の姿であり、その事実のみが我々の心を撃つ真の第一線現場の姿
でもある。
芸術・文化の第一線現場とは本来その最も純粋な個の現場領域から
発して表現として成立するものであって、決してカプセル・パック化した
構造の中からぬくぬくとアート、アート化する類のものではない事を
今こそ肝に銘ずるべき時なのだ。

*テンポラリースペースアーカイブス「記憶と現在」展
 ー3月15日(火)-25日(日)am11時ーpm7時;月曜定休。
*及川恒平フォークライブ「まだあたたかい悲しみその2」
 3月27日(日)午後4時~予約2500円・当日3000円。

 テンポラリースペース札幌市北区北16条西5丁目1-8斜め通り西向
 tel/fax011-737-5503

by kakiten | 2011-03-17 13:40 | Comments(0)


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