テンポラリー通信

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2011年 03月 10日

多念・一念ーland・fall(15)

銀白の世界が戻って来た。寒気とともに。
白一色の世界は、時に新鮮である。
多色で猥雑な街景は姿を消し、世界は一瞬その内側の多様性に満ちた
有機的な美しい姿を顕す。
銀白の一色が逆に世界を多様にするのだ。

川俣正の今回の「北海道インプログレス」の試みを、
現代の親鸞のように地域への還相と感じて、久し振りに吉本隆明の
「最後の親鸞」を読み返した。
その中に「多念と一念」という言葉があった。
折りしも昨日の新聞に「札幌ビエンナーレ来月プレ企画第一弾」の紹介記事
がある。
「美術館が消える9日間」アニメ、パフォーマンス、メデイアアート、ネイテイブ
アート、ダンスにライブ演奏、トークショー、シンポジュムと盛り沢山な企画を
伝えている内容記事だ。
さらにーこの札幌ビエンアーレの考え方の一つ「芸術はビジネス」をテーマに
、ロシアや中国など国内外の経済人によるフォーラムも開催するーと記載され
ている。
多色な街景そのもののような<多念>なる企画景色である。
アートやエコという形容詞的流行語めいたものが付着すると、世界は雑炊の
ように賑やかになる。
<一念>は消え<多念>の色になる。
今朝の銀白一色の世界は、この記事を読み一瞬にして街景の看板・ネオンの
ように多色となる。
タイトルの「美術館が消える9日間」とは、美術(館)が消える日とも読み替えら
れる。
考えられる限りの表現ジャンルを寄せ集め、アートを多念化する試み。
そこに表現者の一念は見えない。
見えるのは「芸術はビジネス」という札幌ビエンナーレの考え方、ショッピング
センターのような店舗の多様・多念性である。
海の漁師が荒廃した海の漁場を再生する為、遠い山の源流の森に木を植える。
そうした領域を超える試みは、ひとえに自らの海の為という<一念>の所為で
ある。決してマルチな多ジャンルへの欲の所為ではない。
漁師が猟師になる訳ではない。
一念を忘却して多念に走る表現群団とは一体何なのか。
それが百貨店の催事場の文化展示というのなら、それはそれでいい。
客寄せの古典的手法だからである。
公共美術館が百貨店の催事場と化して、なにがプレビエンナーレなのだ。
文化遺産の公共的保存・展示。そうした民間には出来得ない地味で貴重な
役割が公的美術館の基本的使命である。
アートはビジネスというのなら、それに相応しい場所が自ずからある。
現代資本主義の最前線中国とロシアの経済人まで招請してフォーラム開催
とまでするのなら、もっと他の場を選ぶべきである。
この場所の選定には美術館というある権威を縁取りした思惑が透けて見える。
個々の作家についてとやかく言う積りもないが、この企画自体が既成の権威
と商業主義をすり合わせた百貨店9階催事場的な、アート物産展にしか思え
ないのは、ひとえに私の偏見によるものだけなのだろうか。
芸術・文化の活性化を望むに急なあまり、それが美術館の催事場化とは
何たる節操の無さと思えるのである。

*テンポラリースペースアーカイブス展ー3月15日(火)-25日(金)
 am11時ーpm7時:月曜定休。
+及川恒平フォークライブ「まだあたたかい悲しみその2」-3月27日(日)
 午後4時~予約2500円・当日3000円。

 テンポラリースペース札幌市北区北16条西5丁目1-8斜め通り西向
 tel/fax011-737-5503

 
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by kakiten | 2011-03-10 14:26 | Comments(0)


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