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テンポラリー通信

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2011年 02月 17日

氷筍と流氷ー螺旋する時間(19)

氷の筍(たけのこ)が地下洞窟に「ニョロニョロ」と生えている新聞記事の
写真が目に付いた。
この間まで展示していた高臣大介展の記憶があったからである。
鍾乳洞ならぬ透明な氷柱の林立が不思議な美しさであった。
上からぶら下がる氷柱ではなく、下から生えている氷柱の列だ。
記事を読むと、
ー見学に訪れた洞爺湖町の自営業高臣大介さん(37)は
「素晴らしい美しさで感動しました」と盛んにカメラのシャッターを
切っていたーと、文中にある。
なんと本人そのものではないか。
別に自営業などとせず、ガラス作家と名乗れば良いものをと可笑しかった。
黒曜石に続き自然の洞窟に立つ透明な氷柱と、高臣大介の北。
自然のガラス発見は続いている。
昨日網走の佐々木恒雄さんと電話で話す。
今回の個展タイトルは無し。佐々木恒雄展でいくと言う。
何か納得するものがあった。
自分自身が今回はテーマなのだろうと思えるからだ。
多分自分自身も含めた人が主題となるのだろう。
早朝まだ日の昇らぬ海に船を出し、やがて日が射して振り返るとそこに
暁光を浴びた同僚の顔が素晴らしかった、と昨年聞いた事がある。
都会では経験した事ない、個人の顔である。
オホーツクの荒海で、生命を賭けた自然と向き合う職場。
そこに個々の人間の顔がくっきりと刻まれて見える。
この顔こそが今回の主題となる、そんな風に感じているからだ。
<顔ナシ>が、都会の風俗的顔である。
ブランド化した顔はあっても、それは個の顔ではない。
そんな都市風俗をデザインする生活を続けていた佐々木さんが今、
日々オホーツクの海で感じているものは、個の顔ではないのかと思う。
社会的には無名であっても、くっきりと生きている個の顔である。
それが暁光を浴びた同僚の顔だったという気がする。
流氷の季節の今、海へ出る漁もなく3回目を迎えた冬。
何かを持って集中してその画業を引っさげ再度の札幌上陸である。
心して立ち会いたく思うのだ。

図らずも続いた氷茸と流氷のふたつの便りが、霞んだ私の顔を少し
きりっと引き締めてくれた気がする。

*佐々木恒雄展ー2月22日(火)-3月6日(日)
 am11時ーpm7時:月曜定休。

by kakiten | 2011-02-17 12:28 | Comments(0)


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