人気ブログランキング | 話題のタグを見る

テンポラリー通信

kakiten.exblog.jp
ブログトップ
2011年 01月 21日

ランドvsランドフイルー同時代の森(22)

<republic>の語源はラテン語で、<res(もの)+publica(公共の)>
とある。また定冠詞theを付けてthe republicは、・・界となる。
この<もの>と<界>を、いわゆるパブリック(公共)からいかに抽出するか。
数多のインフラ・パブリックワーク、それに付随するかのようなパブリックアート
から、真の公共とはを今問わなければならない。
<公共>は本来<類>への視座をその土壌に胚胎している筈である。
「札幌・緑の運河エルムゾーン」を考えながら、この春楡(エルム)の森を
ゾーンというよりひとつのランドとして思うのだ。
このランドとは、国でもあり陸地でもある。
社会体制としての国家ではなく、ランドである。
日本語でいう<お国>のようなものだ。
有機的な環境としての<お国>である。
・・圏といってもいい。
これは、英語の<the republicー・・界>に匹敵する。
そして<界>とは、ある独立した圏内をいう筈であり、場の保つ
独自性、身体性に基づくと思える。
地球が成層圏を保ち他の惑星と違う独自の星である事と同じである。
エルムゾーンとは、ここ固有の自然の身体性であり、ひとつのランドを
形成している。
今自分が生きている場の固有性とは、本来は春楡界であり、そうした
固有の国でもある。
そこから発するrepublic(公共のもの)を、形成創出する事は可能で
あるのか。
形・容の<形>が外からの要素で成立する<かたち>であるなら、
形・容の<容>は、内からの要素で成立する<かたち>であるという。
<かたち>とはこの内・外の両方の要素を保って<形容(かたち)>
なのだとすれば、内なるエルムゾーンとは、<容>の姿でもある。
公共事業的<公共>が、外からの<形>の整える整形だとすれば、
republicなる<公共のもの>とは、内なる<容(かたち)>からの
姿の整容である。
自然・風土はその容(かたち)をランド(国=風土)として形成してきたのだ
とすれば、そこを基底(ランド)として、固有のrepubulicな世界を人もまた
形成できないものだろうか。
今このランドという美しい言葉には、背後にぴったりと貼り付く対極の
リアルがある。
それはランドフイル(landfill)-埋め立て式ごみ廃棄場という言葉だ。
春楡界を生きようとすると、その事の可能性の為には、このlandfillという
現実と対峙し挑まなければならない。
このふたつのランドの様態の挾間にこそ現代のリパブリックが存在する。

川俣さん、そう思いませんか?

*川俣正アーカイブス「テトラハウス・326」展ー1月21日(金)-30日(日)
 am11時ーpm7時:月曜定休。
*高臣大介ガラス展「雪調(ゆきしらべ)」-2月1日(火)-6日(日)

 テンポラリースペース札幌市北区北16条西5丁目1-8斜め通り西向
 tel/fax011-737-5503



 

by kakiten | 2011-01-21 13:42 | Comments(0)


<< 繋がるものー同時代の森(23)      テトラハウス・326展ー同時代... >>