先日TVで久し振りに宮崎駿の「千と千尋の神隠し」を見た.
かって公開時、物語の中のキャラクターが、誰それに似ていると
話題にした事を思い出した。
あらためてその事を思い出していとる、今も変わらず似た人がいる。
最近ではM本さんがここを初めて訪ねて来た時の、おずおずした様子が
釜爺のボイラー室に入ってくる千尋とそっくりだった。
この場合さしずめ私は釜爺である。
キャラクターがそうである。
顔ナシはやはりOだなあ。
そういえば湯婆に似た夫人もいて、ボウもKに似ている。
一番格好良いハクは誰でしょう?
そしてこの物語の本当の主人公は、見えない川である事にあらためて
気づかされたのだった。
これら顔ナシたち、千尋たちは、現代の多くの潜在的我々でもある。
昨夜男の千尋のような顔をした野上さんの後輩Yくんが訪ねて来る。
彼は才能ある美術家で、色彩の結晶が美しい作品を創る。
野上さんの作風とは対極にあるが、逆に惹かれるという。
話をしていて、風土という言葉を思い出していた。
<風>と<土>。
風という見えないものが結晶する。
土という見えるものが結晶する。
どちらも人間の創る作品の傾向である。
Yくんには風土の風の結晶を感じる。
野上さんには風土の土の結晶を感じる。
十勝出身のYくんの作品には、十勝石・黒曜石のような透明感がある。
鉱石の結晶である。
野上さんの作品には土臭い肌の触感があり、土・汗の結晶が作品の基底
にあるような気がする。
これは普遍的いえば、北海道の風土。
風のモダニズムと土の原野自然とに象徴されるような気がするのだ。
そしてこの風土という<風>のモダニズムと<土>の自然主義のどちらにも
属さない都市型風俗主義が、現在の体制派である。
産業経済軸を主とするマスの風俗派には、アート菌という助成金培養のような
顔ナシ的変貌の妖怪が繁殖している。
Yくんともっぱらこうした「千と千尋」的アナロジーを楽しみながら、話は続いた。
帰りは一緒に出て地下鉄に乗り大通りで別れた。
それぞれが乗り換え口に向かう時、Yくんが声をかける。
”なにか、こうして街を一緒に歩くと新鮮ですね。”と言う。
そうか、いつも北の場末ギヤラリーで釜爺の如く資料を出し語る私がこうして
街をさっそうと足早に歩くのを見るのが新鮮だったのだろう。
Yくんあたしや、本当はれっきとした生まれも育ちもシテイーボーイでっせ。
そう声にならない言葉を呟いて、東西線で別れたのだ。
*野上裕之展「鳥を放つ」-1月16日(日)まで。
am11時ーpm7時。
*川俣正アーカイブス展ー1月20日(木)-28日(金)
*高臣大介ガラス展「雪調(ゆきしらべ)」-2月1日(火)-6日(日)
テンポラリースペース札幌市北区北16条西5丁目1-8斜め通り西向
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